ウクライナのこと、コロナがまた広がっていること、異常高温のこと、物価上昇のこと・・・、大人にとっては気分がふさぐことが多い。目の前の子供たちは元気なように見える。子どもは心が元気をなくすとそのまま表情や行動に表れるのが普通だから、元気に見えるならまあ元気だと受け止めておこう。例外はあるが。
ボクはいつの頃からか、世の中の現象の底流にある《気分・原因》のようなものに関心を持つようになった。もちろんそれが子供たちの心や行動に影響していると思ったからだ。きっかけは30年ほど前から頻発し始めた少年犯罪や通り魔事件だ。それ以前の犯罪は、貧困や恨み、利害のトラブルや不遇な生い立ちなど、動機がそれなりに解かるものだった。しかし「誰でもよかった」とか「殺してみたかった」という不可解な理由による犯罪が増えたのだ。子どもや若者の心に何が起きているのだろうかという疑問が湧いた。週刊誌から始まり、月刊誌、数年後に出版される深い考察の載った関連書物まで読んだ。
『映画を早送りで観る人たち』という新書版も時代の気分を探りたくて読んでみた。著者(稲田豊史)の分析は納得できた。「あとがき」が印象的だったので引用してみる。倍速視聴をすることを《同意はできないが、納得はしたい。ただそれでもやはり…?》。そして、自署名の前に《生後三ケ月の息子の隣で》と付記がある。?マークと、幼い我が子の顔を見つつこの本を書き終えていると、わざわざ記してあることがボクの心に強く残った。
さて、この『早送りする・・・』も含めて、その時々の時代の《気分》を探っていると、残念なことに心は重くなる一方で軽くなることはほとんどない。そして、いつもそうなのだが、子どものことを考えて暗い気持ちになっているボクを救ってくれるのも子どもである。子どもならではの表情や受け応えや言動に接すると、どんな暗い気持ちもスーッと消えていく。目の前のことだけを考えることができるようになる。そしていつも思う。この子たちは今という時代に生まれて来てくれた。そしてその存在自体に価値と意義がある。彼らには今、この時間を、目の前のことに没頭して楽しく過ごすこと、仲間と遊んで心身ともにスッキリすることが何より大切なのだ。それができる環境を用意すること。それが自分の仕事なのだ、と。すべてはその中にあり、そしてその先にある。