水かけ合戦。何かと閉塞感の強いコロナの時代にあって、ひたすら水を掛けあうだけの単純明快で爽快なプログラムの持つ意味と価値は一層上がったように思う。
コロナが始まってから3度目の夏休み。過去2年の夏は恒例のプログラムを中止したり、やり方を変えるなどの制約は受けたが、子どもたちはほとんど感染しなかったので、子どものにぎやかさという点ではいつもと変わらなかった。ところが今年の夏はとうとう感染が子供たちの間に広がってしまい、出席数がグッと減ったので、これまでにないような静かな?夏になっている。夏休みに入る直前、二年生がコロナで学級閉鎖になり、その後も他学年にジワジワと広がった。8月の一週までの感染者は3割ほどで、濃厚接触の子と合わせると4割ほどの子が自宅を出られなかったようだ。幸い、どの子も症状は軽くて、最初の2、3日を過ぎると後は退屈な外出禁止の期間を持て余していたようである。夏休みの後半は回復した子が少しずつ戻って来るのではないかと思われる。やっと活気のある本来のポランが戻って来そうだ。
去年のお盆の頃は、異常な長雨が続いていたことを思い出す。安心のために市民館で保育をした日もあったし、大雨の中、ブルシートを張ってハンゴウ炊飯をした日もあった。今年も、何となく似たようなお天気が続いている。体温を越えるような猛暑が続いたり、北の方では河川の氾濫や土砂崩れが頻発している。世界中で洪水や熱波による山火事が起こっている。危険な暑さだとして気象庁が外出を控えるように呼び掛ける、そんな夏が異常ではなくて正常になってしまうのかと思うとフト無力感に襲われる。戦争なんかやってる場合ではないだろうに、マッタク。
さて、あらためて言うことでもないがポランはつくづく自然環境に恵まれている。繁華街へ出かけると上からの熱よりも下からの熱に驚く。フライパンの中にいるような、という表現が大げさではない。ポランの地面は舗装されていないし木陰や草地もある。おまけに水場やプールまである。暑さがひどい時ほど《超》がつくほどに恵まれていると感じる。エアコンがなくても、子供たちが快適に過ごせる条件がそろっているのだから。
ただし、今夏に関しては少し別のことを思う。コロナで長期欠席していた子が戻ってきたときにポランの暮らしに耐えられるだろうかと思うのだ。外出を禁止されていた間は当然エアコンの中だろうし、冷たい飲み物も自由、ひょっとしたら退屈しのぎにゲームをすることも許されたことだろう。エアコンの効いた部屋でゴロゴロする暮らしに慣れた体は、いくら恵まれているポランとはいえ、暑いことに変わりはない。体が慣れるにはちょっと時間がかかるのではないだろうかと心配する。10年ほど前までならここの暮らしを全面的に肯定できたが、ここ数年の暑さはどうも様子が違う。8月終わりの炎天下にサイクリングをするなど、コロナのことを別にしても考え直した方がいいと思っていたところだ。30年前のプログラムを恒例だからといってそのままのやり方では続けられなくなっていると思う。ボクも昨年から夏に長時間の作業をすると体調を崩すことが増えた。老体になったのだろうが、夏の暑さが過酷になったことも無関係ではないような気がする。
そんな中でも毎日ポランに来ている子も多数いるわけで、その連中はかなり元気でたくましいと自信を持っていいのではないか。とにかくみんな、涼しくなるまでノラリクラリとガンバロー!
終戦直後のシベリア抑留は歴史で習う。同じように数十万人の元日本兵の捕虜が、南方ビルマ(現ミャンマー)にも送られて強制労働させられたことはほとんど知られていない。著者の会田氏はビルマのアーロン収容所に送られた。描かれているのはそこでの想像を超える過酷な実態だが、捕虜たちが生きるために知恵や工夫を必死に絞り出す姿には、不思議なゆとりやユーモラスささえ感じさせる。いっぽうで会田氏は、英国人、インド人、ビルマ人、そして日本人の、それぞれの国民性に潜む憎悪すべき本性も観察する。後に京大の名誉教授になるほどのインテリの会田氏だが、英国に対する反感や憎悪は彼の理性をしても抑えきれない。そこに、他の有名な戦争文学や大岡昇平の『俘虜記』などとは別のリアルさがある。日本軍という組織のデタラメさ、肩書ではなく実力で生きること、肉体と精神の極限状態で人はどのような行動をとるのか、など考えさせられることは多い。