我が家を改築することにしたのをきっかけに断捨離でもしようかと片付けを始めたのだが、思い出の詰まったものが出て来るとなかなか捨てられない。40年前のなぎの木クラブ(ポランの前身)の頃の写真やガリ刷りの黄色く変色した『なぎの木だより』などが出てくると、片付けの手が止まってしまう。若い頃の自分が書いたものを読み返しながら、今と変わらない思いを持っていたことに気づいたり、すっかり忘れていたことを思い出したりする。何かと昔と今の違いに思いを馳せることになる。
昔と今とで一番大きな変化は児童の数だが、子どもたちの変化で気になることがある。昔のいざこざやケンカがどちらかといえば身体に対する攻撃や反撃だったのに比べ、最近のそれは言葉による嫌がらせの類が多いように感じる。昔のケンカはケガにつながることがあったかもしれないが、終わればサバサバしていたように思う。最近は派手な取っ組み合いはほとんどないが、その代わり人の弱点や痛いところを突くような言葉を言い放ち陰湿な感じがする。昔は皮膚からの出血で騒いだが、最近は心が傷ついて血を流しているとしても誰も気づかず、本人だけがイヤな思いを抱え、陰で泣いたり、無理に平静を装ったりして耐えている。そんな違いがあると言えるかもしれない。
ここ数年、ボクは最近の子どもたちのそういう傾向を何とかならないものかと思案することが増えた。去年は、《絶対に言ってはいけない言葉》を書いて掲示し、子どもたちに半ば命令のような約束をさせた。気にくわないからといって「死ね!」などという言葉を日常的に使うことを見過ごせなかった。そんな約束の効果は多少あったのか、掲示した言葉を耳にすることは少なくなったようだ。でも、相手を気にいらないと感じたときに発する攻撃的な言葉は他にもたくさんある。昔からある普通の表現が今は侮辱的なニュアンスを持つように変化しているケースもある。モグラたたきや言葉狩りにならないためには、使ってはいけない言葉を限定したくなどないのだが、とにかく何とかしたいという気持ちが強かった。一つの現実的な対処法として、たとえば歩行者を車から守るために交通ルールがあるように、言い返せないタイプの子を守るためにひどいことを言う子の側に制限をかけるやり方があってもいいと考える。ワンパク坊主ほど面白いというのも事実だが、そうであっても無邪気なワンパク野郎が暴走した時には、やはり抑える必要がある。弱い子が一方的に我慢と忍耐を強いられることはあってはいけないことだと思うから。
新しい年度が始まった。三月から四月にかけて、何かと忙しくも楽しい毎日だったが、その中でも時々、取締りの笛を吹きたくなるような場面を目にした。百の楽しさの中に一つ、そんなチクリと心が痛むことがあると妙にそれが気になってしまう。今年の「ポランの森から」のスタートをこんな話から始めることになったのもそんなチクリがたまっていたからだろうか。誤解のないように付け加えておくが、ひどいことを言う子は数の上ではほんのわずかであり、大多数の子は昔の子より優しいのも事実である。
この「ポランの森から」は事務連絡のためのものではなく、私的な思いを書き綴ったいわばブログのようなものだ。といってもブログというものをボクはまともに読んだことはないが。取り上げる話題といえば子どもや教育にまつわることが中心だが、ボクの幼い頃の思い出話や深刻な事件や社会のできごとに関する感想、書籍の紹介など、思いつくままに書いている。昨年度は10号まで出た。長い文を読みたくない方や忙しい方は、年寄りのたわごとだと読み流してもらってもかまわない。でも、40年以上の間、同じ年齢の子どもたちと同じ過ごし方をして来た年寄りの話には、何かしら参考になることがあるかもしれないと思って目を通してもらえたら、やはりそれに越したことはない。
まずはポランの基本的な考え方について書くことにする。最近のポランはだんだんと世間とズレてきたようである。変わらないのはポランであり、世間の方がズレて行ったのだと思ってはいるが、昔の常識が通用しない教育界になっている現実の中で昔のままのやり方を貫こうとするなら、誤解が生じないような配慮が必要だろう。そのための一助としての役割がこのお便りにはあると思っている。まずは承知しておいてほしい点をいくつか並べる。
子どもたちの成長には土、水、木、生き物が不可欠だと考える。ポランにはその条件が比較的そろっている。でも、水や生き物と遊ぶと、どうしても衣服は濡れたり汚れたりする。整地されていない地面や森の中を走り回れば転んだりもする。膝小僧をすりむくこともある。格闘する遊びもポランには多い。服が汚れるのも小さなケガをするのも、元気に遊び回ったからである。部屋の中で静かに服も汚さずに過ごしているのと比べたら、はるかに多くのことを体験し学んでいるのである。車の座席が汚れることがあるかもしれないが、よく遊んだ証拠だと考えてもらいたい。汚れよりも子どもの笑顔に目を向けてもらいたい。
ケンカというものは百害あって一利もないものだ。冷静に考えれば、夫婦げんかも国と国のケンカ(戦争)も、どんなケンカも害が残るはずだ。でも、そうは思いたくない心理が「雨降って地固まる」とか「ケンカするほど仲がいい」などの言い方を作ったのではないだろうか。《冷静に考えれば》と書いたが、カーッとなった時はそれができない時だ。人生経験を積んだ大人でさえ、なかなか冷静になれないことがあるのだから、成長途上の子どもたちがケンカをするのは当然である。
「ロクさん、あっちでケンカしとるよ!」と報告があると、まずは遠くからその様子を観察する。あるいは室内で始まれば当事者たちを外に出す。いずれにしてもケンカを最初から制止することはない。とめない方が学ぶことが多いと考えているからだ。それでもたいていの場合ケンカはやがて収まる。制止しなかったことでとんでもない結末になったことはない。とめない理由のもう一つはケンカの本当の原因は分からないことが多いからである。ケンカが終わって冷静になった頃、双方から原因を聞いてみる。きっかけは単純なことだが、よくよくさぐってみると、本人たちにしか分からない、言葉では説明できない感情があることがある。数日前のできごとが尾を引いていることもある。「どっちも謝って終わりにしようね」などと言われても気持ちは収まらないものだ。エスカレートしないよう見守っているのがいいと思っている。
とはいうものの、ケンカというものは痛々しい気がしてあまり見たくないのが正直なところだ。幸い、最近は派手なケンカは見ることがなくなった。小競り合いや口げんかくらいだ。日本社会の文化度が上がったからなのか、それともイジメ撲滅教育の効果なのか、あるいは闘争心が弱くなったのか、分からない。ただし、その一方で、このたよりの冒頭に書いたように、言葉の暴力のようなことや軽い冗談と区別のつきにくい嫌がらせがジリジリと広がっている現象との間に裏腹の関係がなければよいのだが。そんな一抹の心配はある。
かなり昔のことになるが、ボクの子ども時代の放課後のことを思い出すと、その光景の中に大人の姿はほとんどない。思い浮かぶのは二人だけだ。一人は怒鳴り顔のジイサンだ。脱穀の終わった田んぼに積み上げてあった藁束で遊んでいたらどこからか現れたジイサンに怒鳴られた。怒声が降ってきたと同時に仲間は散り散りに逃げだした。悪いことをしている意識はなかったが、昔の子どもたちはなぜかすぐ逃げた。逃げておきながら後でジイサンの怒りの原因が、せっかくきれいに積み上げてあったものを散乱させたことにあると分かり、少し反省した。もう一人は鉄工場の若い兄ちゃんだ。大きい耕運機のエンジンを始動できたら10円やると言われ、仲間と二人でやってみた。スターターの紐は重かったが何度目かにエンジンはドドドドッと回りだした。お兄さんは複雑な表情を浮かべた。母にそのことを話すと金を返して来いと言われた。安月給の兄さんにとって10円は貴重なのだと教えられた。10円は当時のボクのお小遣いの2日分だった。
昔の子どもたちの放課後は習い事もなく、大人に管理される学校時間から解放されて、夕刻まではすべてきままに行動できる時間だった。その時その季節の面白そうなことに時間を費やせばよかった。秘密基地を作りたいと思ったら、材料や道具をどこからか調達し、拙い技術を駆使して作るのだ。手伝ってくれる大人がいればもっと上手に基地ができただろうと今なら思う。カエルをたくさん殺したり、電車の鉄橋を走って渡る危険なこともしたが、それはやった者にしか分からない心からの反省や深い後悔となっていつまでも心に残ることになった。放課後の自由な遊びの時間は、見方を変えれば、それまで家や学校で大人から教えられたこと、見たり聞きかじったことを試してみる時間でもある。楽しいことも後悔や反省も含め、大人が傍にいないからこそ全ての体験の密度が濃く、本物の直接体験であった。大人たちが忙しくて子供の面倒など見ていられない時代の子どもとして、大人の姿がない放課後に得た物は本当に大きかったと実感している。
ポランは学童保育所だから必然的に大人は存在する。でも、放課後という時間帯だから大人の出る幕はなるべく減らしたい。良かれと思って大人が出ればその分だけ子どもが学ぶ機会は少なくなる。単純な引き算だと思う。出る幕を減らせないときはせめて大人がいることで子どもの学びがより豊かで良質なものになるように関わりたい。だから大人の対応は世間と少し違うかもしれない。大きなケガやハチや蛇などには敏感に対応するが、それ以外のことについては「あっ、そう。それで?」程度の反応が多い。「学校の先生に言うでネ(いいつける意味)」と、女の子たちが言う。ポランの先生は、ワンパク坊主を叱ってはくれないと思っているのだ。
今、子どもたちは24時間、大人に見張られているのかもしれない。親に言われ、先生に指示され、放課後になってさえコーチに笛を吹かれ尻を叩かれる。放課(授業が終わること)が放課になっていない。保育園を卒業して間がない新一年生は、トイレに行くにもお茶を飲むにも、いいですか、と許可を求めてくる。数か月前までそれがきまりだったのだろう。時代の変化の中で子どもたちは大人に護られることが当たり前になった。子どももそれに慣れきっている。大人の目が届く中で過ごす方が安心なことは確かだが、管理され指示されることに慣れると依頼心が大きくなり、自己判断力や独立心が弱くなることもまた確かだ。手取り足取り、丁寧に教えられると自分で知ろうとする吸収力は衰える。「わかんな〜イって言えば、きっと先生は教えてくれるモン。」そんなふうにタカをくくっていられるのは学校だけで十分だろう。ポランでは「ウカウカしてたらヤバイぞ」と思ってもらうのがいい。他の習い事などとは質の異なる学び方があってもいいと思う。とくに人間関係、友達関係はハウツー式に教科書で教えられるようなものではない。大人が介在しない時間と空間で、生(ナマ)の子ども同士が対立したり仲直りしたり、押したり引いたりしながら心地よい関係をつくるやり方を学んでいくしかない。友達関係のトラブルを知った親や周囲の大人にできることは、ただトラブルを取り除いてやることではなく、ちょっとかわいそうな気はしても見守りつつ、貴重なチャンスとしてそれを乗り越えられるよう陰で支えてやることだと思う。先に死にゆく大人として子どもにしてやれることはそういうことではないのだろうか。
ここに書いた汚れること、ケンカすること、頼る大人がいないこと。それらは困ることやイヤなことではなく、実はどれもが本物の楽しさと充実への近道なのだと、近頃ますます思う。