のどか

父親の存在感について

新潟で小2の少女が殺害された。同じような子どもを持つ父母や祖父母にとっては、身につまされるできごとだろう。下校後の児童を預かる身としても、これでまた、子どもたちの放課後がきゅうくつになるのかと思うと、やり場のない口惜しさを感じる。仕事柄、ボクはこの種の事件の犯人の性格や心理状態、成育環境などが気になる。このお便りでも過去の事件について何度も書いてきた。土浦市で連続殺傷事件を起こした加藤真大のこと。神戸の連続児童殺傷事件の少年A。こういう事件は、犯人が逮捕されてから時間が経つと少しずつ、犯人の成育環境についての情報が出てくる。関連資料や書物が出るとその都度買い求める。生い立ちや家庭環境、周囲の人間の対応などを知ることによって、何か教訓にできることはないか、子育てや保育に活かせるようなことを読み取ろうと思うのだ。彼らに何か共通点はないか。動機や性格や体験に何か類似点はないか。防ぐ手だては無かったのだろうか。それを見つけたいと思うのだ。 過去の事件についての考察の中から、いくつか気になる点が浮かんできてはいる。ここではそのうちの一つについて書いてみる。それは“父親の存在”についてである。神戸のショッキングな事件の少年が社会復帰をして数年後に著した「絶歌」という本の中に、父親について書いた部分がある。

『父親と自分の間には何の共通点もないし、ほしいとも思わなかった。僕が好きなものに父親が興味を示さないように父親が好きなものに僕も興味を示さなかった。父親を尊敬したことは一度もなかった。真面目なだけが取り柄のつまらない人間だと思っていた。自分がやったことで父親が苦しむかどうかなんて、毛の先ほども考えなかった。思えば僕はずいぶん長い間、父親の存在を無視し続けることで繊細で我慢強い父親の心をつねり上げてきたように思う。』

事件後、少年院の暮しの中で父親について考えるようになり、事件から8年後、少年院を退院してから初めて父親ときちんと対面する。とうに二十歳を過ぎていた。加藤真大の父親は、息子が幼い頃には、ハンサムだ、頭がいい、とチヤホヤしておきながら、成長するに連れ、それほどでもないことが分かると、急速に気持ちが離れ、仕事人間になり、父と子の接点は失われた。

どちらの父親にもそれぞれ抱えている事情はある。一方には、南の島から集団就職で都会に出てきて、学歴もなく必死に働かなくてはならなかった事情が。もう一方の父親はたまたまエリートの集まる職場でひとり学歴もなくて屈折した思いを抱いていた。それが息子に必要以上の期待をすることになり、そのために失望も大きくなってしまったようだ。

とはいえ、父親にもう少し存在感があり、息子との間にしっかりしたつながりがあったなら、ひょっとして事件を起こす前に何とかなったかもしれない、と思う。《地震、雷、火事、親父》という言い方がかつてあった。頑固な父親が世の中の怖い物のベスト4に入っていた時代がかつてあった。今は、学校の男性教師をさえバカにしている様子が、子どもたちの会話からも推察される時代である。怖い教師や父親がいいと言うのではない。存在感は怖さと同義ではない。面白さでもいい。優しさでもいい。寛大さでもいい。博識さでもいい。ただし、忍耐強いとか物静かなだけだと子どもにはなかなか存在感として理解されないことがある。尊敬され慕われる父親であればそれに越したことはないが、せめて無視されたり、バカにされたりしない存在である方がいい。子どもが中高校生にもなれば、母親に代わって父親の出る幕も増えるのが普通だ。何かあったら相談相手として子どもに求められる存在であれば十分だろう。もちろん、父親がいない家庭であっても何の問題もない家庭もある。それどころか、母親をしっかり支えていく青年は、むしろ母子家庭から育っている現実も知っている。あるいは、父親なんかいない方が家庭内がうまくいくようなケースもある。断定的なことは言うべきではない。だからここで書いていることはあくまで事件を起こしてしまった家庭を考察した結果言えることであり、息子自身が「父親との関係がもう少し違っていたら結果も違ったものに……」というようなこと(何を甘えたことを、と思うが)を思っているフシがあることを知ると、せっかく父親が同居しているのなら、やはりそれなりの“存在感”があることが大切で必要なことではないかと思うのである。

スケボーの季節

スキーやスノボー、バイクなど、スピードの出るものを乗りこなすスポーツや遊びには転倒がつきものである。転んだり何かにぶつかったりして痛い目にあうかもしれないという恐怖心は常に伴う。それを克服しなければならない。柔らかな雪の上でさえ、下手な転び方をしたり、思わぬことで何かと衝突すれば骨折につながる。それでもなお、人間というやつは、成功した喜び、乗りこなせた快感を味わいたくて立ち向かっていく。そんな人間が世界中から集まってオリンピックなどで競い合う。

五月の連休が終わるころ、奥の草っ原にスケートボードの滑走コースができる。今年は初級用と上級用の2本。合板をつなぎ合わせたスロープだ。上級コースは傾斜が強くS字にうねっている。初級コースは傾斜が緩やかで直線コースの終点付近で左右に枝分かれしている。これから6月の下旬まで、コースの上にピンク色のネムの花がポタポタと落ちる頃までこの遊びは続く。

ボードの上に座って滑れば、ちょっと長い滑り台のようなものだから、低学年の子には初級用に限ってそれもOKとしている。でも、苦労してコースを作る身としてはやはりスノボーのように立って滑ってほしいと思っている。特に高学年の子には、恐怖心を克服する体験に挑戦してほしいと思っている。でも、現実の子どもたちは、上級生になっても座り滑りしかやらなかったり、まったくスケートボードに手を出さない子もいる。危険を伴うことだから強制はできないので、もどかしさを覚えながらも、いつか立ってくれることを期待しながら見ているしか“今までなら”なかった。しかし今年は少し考えを変えた。

スケートボード スケートボード

食わず嫌い、やらず嫌いの子が増えている。幼いうちからの情報過多か娯楽過多か評価され過ぎか。原因はよく分からない。どうせ自分にはできないし、痛いのはいやだ。自分より年下の子ができるのに、年上の自分が失敗したら笑われる。こんな遊びをやらなくても他に楽な楽しみはある。そんな心理でも働くのだろうか。何も手を打たなければこの傾向は続きそうだ。ならば、手ほどきしてやることで何とかその思い込みや決めつけを打破して、新しい世界の入口に立たせてやることも必要ではないか。そんな風に考えることにしたのだ。むろん、能力に個人差はある。能力以上のことをさせるわけではない。自転車に乗る程度のバランス感覚があればできる初級コースを滑ることだけだ。そこが入口だ。そこから先は本人に任せる。意外と楽しいと感じれば上級コースにトライすればいいし、これで十分と思えばそれでもいい。今年はそんな気持ちで、高学年の子の中で気になっている子に声をかけている。すでに何人かの子が「なんだ、あんがい簡単じゃん」と小さな自信をつけている。

技をマスターする他の遊びでも食わず嫌い、やらず嫌いの傾向は同じだ。ボールを投げることですら、できる子とそうでない子の二極分解が目立つ。基本的なボールの持ち方、腕の振り方が身についていない子は多い。子どもたちの現状に合わせ、今までのやり方を少し手直しする段階になったのだと思う。自主性尊重という言葉にまやかされていたつもりはないが、放課後の理想的な遊び方を求めるやり方だけでは現実に即さないようだ。手をこまぬいていないで、ちょっと強めにプッシュしてやることで、自信と可能性につなげてもらうのがよさそうだ。

代休の日

運動会の代休。こんな日はできるだけ自然の中で過ごすことに決めている。三口池ひろばに出かける。下級生がひろばで遊んでいる間に、上級生を連れて奥の森へ足を延ばす。15年ほど前は池の周辺で自由に遊ぶことができた。その頃は、菱の実を取ったり、奥の沢で水浴びをしたり、干上がった池の底を歩いたり、クワガタ捕りにもよく行った。飲料水の管理のために水に近づくこともままならなくなってからは池の周辺で遊ぶ機会がぐっと減った。だから今の子は、奥の沢に小さな滝があることも知らない。今日はそこへ連れて行きたかった。

水路を飛び越え、斜面を登り、滝を目指す。そんなものが本当にあるの?とか言いながら歩くうちに水音が聞こえて来る。小走りになる。あっ、あった。滝だ。落差は3メートルほどだが一応、滝である。石巻山の南側に降った雨が湧き出て作った滝だ。水滴が飛び散る周辺はひときわ涼しい。手を濡らし、岩の上から落水を眺めたりしてひとしきり過ごす。

滝

低学年と弁当が待つひろばへ戻る道々、草花遊びを教える。葉っぱの空砲を鳴らし、葉っぱの笛を吹き、笹の葉でペロペロキャンディを作り、ススキの葉を空に飛ばす。どれも単純なものだが妙に新鮮な感じがする。最後は笹の葉の笛。鳴らすのに少し苦労する。その上、音も地味で耳を凝らさないと聞こえないようなかすかな音だ。一番不人気かと思いきや、鳴った! 鳴った! ねえ、ねえ、聞いとってよ、と予想外の反応だった。

広場の草の上や木陰で弁当を広げる。食事の後は、超ロングなシロツメクサのリングを編み続ける子、近くの田んぼでオタマジャクシを捕まえる子、靴投げに興じる子、持参した聴診器で木の中を流れる水音を聴き、ついでに自分や仲間の心臓の鼓動音を聴いて感激したり・・・、思い思いに過ごす。最後はみんなで裸足になってオタスケマンで思い切り草の上を駆け回った。

めくるめく楽しい過ごし方ではないから日記に書くほどのことではないかもしれないが、山や田んぼに囲まれて、青空の下の草原を裸足で駆け回ったこの時間のことは、子ども時代のふんわり、ほのぼのとした故郷の思い出として、彼らの心のひだのどこかにそっとしまわれたことだろう。

たまには楽しい話を

腕の血をぬぐっているボクに、ある子がどうしたのかと訊いた。かさぶたをとっただけだと答えたら、かさぶたって?と訊く。そのとたん、ボクの中の冗談の虫が頭をもたげた。「ブタの仲間だ。ツチブタとか、豊橋動物園で見ただろう」と、見当違いのことを言ってみたら、別の子が「見た。薄暗くしてあった」と反応した。「そう、あれは夜行性だからナ」とボク。さらに別の子が「ヤコウセイ?」と口を挟んだ。「昼間は寝ていて夜になるとエサをとったり元気になる動物のことだ」と説明した。そばできいていた一年生の子が「ボクの父ちゃんもそうなっとる」と言った。夜勤のことらしい。言葉通りに受け止めていて正しいけど、おかしかった。

同じ日の6時過ぎのこと、ギプス姿のK君は宿題中。お迎えに来た祖父はいつものように、早く帰り支度をするように言ったが、手が不自由なことに気がつき、「まあ、きょうは目をつぶるか」と言い残して車の方へ出て行った。その直後、K君がこちらを向いて言った。「おじいちゃん、車で寝てるって」。目をつぶる、大目に見る、首を長くする、鼻で笑う、耳が痛い……etc. 確かに日本語って面白い言い方があってややこしいかもね、K君。