年末劇『ハーメルンのネズミ男』の一場面、ネズミたちの踊り。どのように並ぶかは指定していない。踊りに自信がある子や人前でのパフォーマンスを楽しく感じている子はおのずと前の方で、そうでない子は何となく後ろの方で踊っている。
ノーベル平和賞にICAN(アイキャン)という通称の団体が選ばれた。核兵器の廃絶を訴えて活動する国際的な非政府団体だ。ICANの存在を知った時、フッと明るい気持ちになった。それはこの団体の構成メンバーが20代〜40代の若者たちであり、さらにICANが国という枠を超えた組織であることに可能性のようなものを感じたからだ。こういう若者たちに活躍してほしい。グローバルという名の経済活動に走る若者ばかりでは地球がおかしくなる。環境問題に背を向け、軍需産業や原発産業に配慮するどこかの国の大統領のような政治が求められることになる。核兵器が無くならない理由の根底には、環境優先の平和な社会では経済が回らない、という考え方があると思う。ICANは世界に目を向け、平和のために骨身を惜しまず汗を流す、そういう若者の集まりだと思えたのである。
昨今、反戦や反核を訴えてデモや集会をしているのは、日本の場合ほとんど年配の人たちである。60代以上の年寄りは、自身が戦争を体験していたり、親世代の苦労話を直接に聞いて育ったり、戦争というものを身近に感じる体験を持っている。どんな大義を掲げる戦争であれ結末は悲惨なものであることを知っている世代だから、戦争だけは避けたいと思い、戦争につながる可能性のある法案や憲法を変える動きにも敏感になる。若い世代は《日本が戦争をする》と自分の身にどんなことが起るのか、想像しにくいのだろう。戦争に懲りた世代が懸命に維持してきた平和な70年の間に、平和な生活しか知らない若い世代が育ち、戦争もやむなしと考えるようになるとは皮肉な結果というしかない。そんな思いでいる年寄り世代に、ICANは「まだあきらめるのは早いよ」と言ってくれているような気がするのだ。
戦争を知らない若い世代が反核反戦の活動を始める原動力になっているのは想像力である。体験していないことを自分の問題として引き寄せるのは想像力である。多くの若者にとって戦争や核兵器は日常生活から離れたところにある。自分にはほとんど無関係だと思われるところにある。それを身近な問題として、自分や自分の家族にも関係があることだと感じられるようになるのは想像する能力なのだ。実際、ICANのメンバーは、今の活動の原動力になっているのは高校生時代に授業で聞いた被爆者の話に心を動かされたことだと、インタビューに答えている。戦争被害者を目の当たりにしたことで想像がかき立てられ、さらに自分で勉強して戦争の実態を知り、ことの大切さに気づいたという。そしてそういう想像力を持つ若者たちが、国という枠を超えて世界中からICANに集ったわけである。国という枠に縛られると、政治家や役人がそうであるように、とかく外交努力という手順や、同盟国の方針や顔色など、いろいろなしがらみに縛られて自由に行動できないことが多い。その点でもICANの参加のしかたは若者らしい。そしてそれを応援しようと決断したのがノーベル賞の関係者たちだ。
話は飛ぶがポランの子どもたちのことである。ポランでは子どもたちは学校より自然な行動をとる。愛らしさや素直さもより発揮されるが、時には情けなさや歯がゆさを覚えることもある。ちょっと忍耐を必要とする場面になると、自然体な分、我慢しなくちゃという気持ちも少ないのか、メゲたりイジけたりイラついたりもしがちになる。甘えも出るのだろうが、あれはイヤこれはデキナイ、あっちが痛い、コッチがかゆい、となることもある。コレがダメならアレ、アレがだめならソレと、軽く受けてみればいいのに。ひとつやふたつ失敗したからってウジウジせずに、3つ4つと挑戦してみればいいのに。こんな些細なことでいじけるな!めげるな!とドやしつけたくなることも時にはある。戦後の、どこの家庭も貧しかった時代、親は子供のことを気に掛ける余裕なく働いた。子どもは大切にはされなかったが、代わりに大人とは無縁の子どもだけの世界で遊んだ。そこは、自分たちで何でもできる一方、ふてくされやウジウジ、クヨクヨが通用しない世界でもあった。今、子どもは尊重される時代になったが、大人の目が届きすぎ、そこから逃れられなくなったともいえる。真綿で自由を奪われるような暮しの中で、メゲたりイジけたりするのは一つの抵抗の方法なのかもしれない。そんなふうにも思ってはいる。
劇の練習の空き時間にICANのことを子供たちに紹介した。どういう人が何のために集まっているのかを分かりやすく説明した。主に平和のことと核兵器のことを話したが、ボクの本音は、「子供たちよ。小さなことにメゲてなんかいないで、大事なことを見つける目を磨き、大人たちを安心させるような頼もしい若者になってくれ」ということにあった。何かが伝わったと信じたい。
年末劇は、「ネズミの踊り」や「歓喜の踊り」など、にぎやかな場面を入れたことで、全体が楽しげなものになった。原作とは異なるエンディングだったがそれも違和感なく受け入れてもらえたのではないかと感じている。
さて、ポランの年末劇を子どもたちが楽しむのは本番だけではない。本番も合わせると今年は三度あった。他の二回のうちの一回は、本番の数日前だった。その日は雪が降っていた。乾いた雪ならワッと外で遊び回るところだが、あいにく湿った雪だった。しかも降り方が激しい。これでは雨と同じでびしょ濡れになってしまう。そこで子供たちに室内での劇遊びを提案した。「今から劇遊びをやろうと思います。ただし、自分で好きな役をやれることにします」。子どもたちの目がパッと輝いた。やりたい役を募ったらたくさんの手が挙がった。人気が高かったのはネズミだった。それもそのはず、練習では、舞台で楽しそうに踊るネズミたちを見ながら、袖にいる別の役の子たちがいつも一緒に踊っているのだから。他にも低学年の子が王様をやりたいと手を挙げたり、照明係りの6年生が舞台に降りて来たり、何と劇の司令塔でもある音楽係にまで立候補する子が現れたりした。音楽係りは簡単ではない。いつもの練習ではみんなから隠れるような場所でボタン操作をしている。いつ、どのタイミングでどのボタンを押すとどんな音楽が流れるのか、分かっているのだろうか。半信半疑だったが任せることにした。そうしてお遊びの劇が始まったのだが、細かなことを抜きにすれば、大抵の場面は何となくできた。要の音楽もかなり正確にできていた。子どもたちの観察力は大したものだと改めて感心した。もともと『子供たちの忘年会』として実施している年末劇だから、元々いろいろな場面に遊びの味付けがしてあるのだが、こうして役を交代してやるとさらに遊び感覚が増して楽しむことができる。
三度目はお正月遊びである。年が明けて初日はまず石巻山へ登る。その日の午後はすごろくをする。これが「年末劇すごろく」である。グランドいっぱいに描いたコースには劇にちなんだ様々な課題が仕込んである。「王様のセリフを言う」とか「ネズミの踊りをする」とか「ゲームに夢中になりすぎて1回休み」などである。さらにその翌日は「年末劇カルタ」である。まず午前中はグループに分かれて絵札と読み札を作る。各グループには前もって十一個ずつ受け持つ文字を選ばせてある。できた読み札の例を挙げると「○へんな男ふえふきながらやってくる」。「○ろう屋だぞねんぐをはやくおさめなさい」。「○ねずみが消えたよよかったね」。「○にやにやとわるだくみする王様」。こんなのもある。「○ほんばんは二十九日の十時から」。そしてその札に合った絵札も子どもたちが描く。同じ日の午後、グループ対抗でカルタとりをする。こうして年末からお正月にかけて劇で二度三度と楽しむのである。
劇が終わり、ポランの土間にダルマストーブが登場した。その丸い姿を目にした途端「あっ、はし、作りた〜い」という声が聞こえた。このストーブと竹を削って箸を作ることが多くの子どもたちの記憶の中でリンクしているようだ。
小学校入学前の子どもが物を作り出すために使う道具にはどんなものがあるだろうか。この年齢ではノコギリや包丁はほとんど使わないだろうから、せいぜいハサミくらいだろうか。そう考えるとポランで使うナイフは、一年生が生まれて初めて手にする本格的な《道具》となるのではないだろうか。肥後の守(ひごのかみ)と刻印されたこの両刃のナイフは、大きさが手ごろで値段も安いことから、昔の子どもたちは日常的に使っていた。子どもたちの筆箱やポケットには必ずこの折りたたみナイフが一本入っていたものだ。とくに男の子たちはこのナイフで、弓矢、紙玉鉄砲、パチンコ、竹とんぼ、凧、ペーパーナイフ、笛、釣竿など、実にいろいろな物を作った。昔の子どもたちの遊び方の中には物づくりの原体験の要素がたくさんあったのだと思う。
竹で箸を作ることは、ナイフ初体験の子にとってはうってつけの手作業だ。竹細工は乾燥した竹を使うものだが、初心者には堅すぎるのでポランではやわらかな青竹を使う。後でカビたりする欠点には目をつぶり、ハードルを低くしてやることを優先させている。一年生たちにまずナイフの使い方を教える。ナイフには、ケガをしないためと上手に作るために大事なコツがある。握り方、構え方、刃の角度などを実演して見せる。四角い竹を丸くするには削り落とす場所にも順序がある。刃を自分の方にむけないことと、ナイフを動かすのではなく竹を引くこと、この二つは特に強調しておく。特に二つ目は大事で、それができない子はいつまでたっても上達しない。柔らかな子供たちの手には青竹以上に鉄製のナイフが痛い。皮製の指サックも作ってあるがそれでも小さな指は痛くなる。今年は一年生のために初箸(ういばし)と名付けた材料を用意した。竹の内側にある一段と堅い部分を取り除いた材料である。とかく面倒なことから逃げがちな近頃の子どもたちに物づくりの楽しさを知ってもらうためにはあれこれ配慮しなければならない。指先は不器用より器用な方がいいにきまっている。不器用な外科医に執刀してもらいたくはない。不器用な美容師に髪を切ってほしくもない。指先が不器用なマジシャンは成功しないだろう。人間は道具を使うサルから進化した。親指が前に動くようになり他の4本の指と向かい合うようになったことで道具を握り、巧みに使いこなせるようになり、脳が急速に発達した。ボタンを押すだけの指先ではなく、やはり道具を巧みに使えるサルでありたいではないか。
学校が代休だった月曜日、2年ぶりの松葉ソリに出かけた。毎年欠かさないこの季節限定の行事だが、昨年は雨でできなかった。雪の積もらないこの地方でもできる貴重なソリ遊びだ。
石巻山を少し登ったあたりの枝道に松葉を敷き詰めて全長60〜70mのコースを作る。コース作りからみんなでやることも恒例である。コースは高低差があり、少し左右にうねってもいる。初めての子は恐いと感じるようだが、それはほんの最初だけ。すぐに楽しさへ変わる。一人で滑るよりもソリを連結させて滑ると楽しさは倍増する。転倒することも多いが、それがまたド楽しい。