出番です

体がかってに踊り出す

ある日のこと、ポランを見学したいという来訪者があった。あちこち説明しながら歩いていたちょうどその時に音楽が鳴りはじめた。おやつを知らせる合図である。するとそれまでいろんな場所で遊んでいた子たち、とくに低学年の子たちがその音楽に合わせて踊りながら部屋の方へ歩き出した。その様子を目にした来訪者はけげんな顔をした。時々「ヒューッ」とか奇声を発しながら、妙な足運びや腰つきで突然に目の前を移動し始めたのだから、何も知らない人が奇異に感じるのは当然の反応だろう。何かの儀式でも始まるのかと不思議がるのもむりはない。

ポラン

4時過ぎに鳴る合図の音楽は時々変わる。「ひょっこりひょうたん島」だったり「泳げタイヤキくん」だったり「にじ」だったりする。それを年明けから年末劇「ハーメルン」で使った音楽に変えた。劇中で、ネズミ退治ができたことを喜んで村人たちが踊る場面があった。民族衣装らしきものを身につけた2年生の、まずは女の子たちが、次に男の子たちが、輪になったり手を取り合ったりして踊った。それぞれにとても楽しげに踊っていて、見る者もつい笑顔になってしまうようなとてもいい場面だった。その音楽を耳にすると、劇本番から時間がたった今でも、実際に踊った連中は誇らしげに、そうでない連中もついヒューとか言って踊ってしまうのだ。反射的に体が反応してしまうといった感じで。

子どもたちのおかしな行動のわけを来訪者に説明すると、納得顔で「楽しそうでいいですねー」と言ってくれた。確かに何度見ても微笑ましい。年末劇から2か月経って、そろそろ反応が鈍くなったようだから次の曲を考えようかとは思うが、次も劇の中の音楽にしようかと考えている。

作る人届ける人の想い

売れ残った恵方巻きが大量に廃棄処分されたという。恵方巻きに限らずコンビニやスーパーの弁当は賞味期限が切れるとその時点で廃棄することになっているらしい。「まだ食べられる」とか「もったいない」という基準ではなく「売れるか売れないか」が優先されるのだ。日本は食料自給率が低いはずなのに、輸入した食材で作った弁当だろうが売れなければ廃棄されてしまうのだ。

ポランでは4時ごろにおやつの時間がある。最近は甘いものや固いお菓子、味の素朴なものなどを嫌がる子がジリジリ増えている。学校の給食からずいぶん時間がたっているのにおなかがすかないらしく「ボク、いらない」などと言う子も時にはある。さらには、食べてはみたけどどうも口に合わないのか、目立たない場所に捨ててあることもある。そんな場合、以前は「もったいないことをしてはいけない」と話してきかせていたが、今は「食べたくなかったら前もって言いなさい。減らしてあげるから」と、こちらとしては譲歩した言い方にしている。こんなことが頻繁にあるわけではないが、ポランの子だけを見ても、子どもはお菓子には目がないもの、という時代ではなくなりつつあるようだ。

先日、グランドの隅に、一口かじっただけのリングドーナツが捨ててあった。これはやっぱり見逃すわけにはいかないと思い子供たちを集めた。食べ物を粗末にしてはいけないこと、世界には3度の食事も十分食べられない子どもたちがいることなど、常識的な話をしていたのだが、フト気がつくと子どもたちの頭の上にはたくさんの「???」が浮かんでいるように見えた。モッタイナイってどういうこと?そんな疑問符がボクの方へ飛んで来るように感じた。そうなんだ!この子たちには「もったいない」と感じる実体験が乏しいのだ。そう思ってとっさに言い方を変えた。「ヨシ、こうしよう。食べ物を捨てないことはルールだ。交通ルールと同じ。学校のきまりと同じだ。赤信号で止まらなければいけないのと同じように、おやつを捨ててはいけない。そう決めよう」。

ボクの母親は、おひつ(食卓で使う木製の飯桶。今の保温ジャー)の中に残った取りきれない米粒を粗末にしないために、お茶を流し込んで食べていた。そんな姿を鮮明に憶えている。また、質素な弁当が恥ずかしくてフタで隠して食べている同級生の姿も憶えている。たまにあるかないかのおやつは蒸かしイモかサトノキ(砂糖キビ)だった。そんな時代に育ったボクですら、いつの間にか食べ物を粗末にしていることがある。ただし、それに気づいたときは必ず心がチクリとする。それは廃屋などで畳の上を土足で歩いた時に感じる罪悪感の混じったような心地悪さと同じで、理屈ではなく反射的な心の動きだ。貧しかった子ども時代(日本全体が貧しかった)の記憶がそうさせるのだろう。満ち足りたこの時代の子どもたちに同じ気持ちになりなさいと、言う方が無理なのかもしれない。それならいっそ感情を抜きにした約束事として「食べ物を粗末にしない」とする方が時代にあっているのかもしれない。

ポランでは、添加物のことなどを考慮しておやつを調達している。その捨てられていたドーナツは脂分が控えめなのだろうか少しパサついた感じはした。ボクはしっかりした味のおいしいものだと感じたが、街角にある著名な店の味に慣れた子にはそれが口に合わなかったのかもしれない。でも、後でそのドーナツのパッケージに書かれたメッセージを読んで、子どもたちに言いきかせたことは、やはり大事なことだったと痛感した。その袋には、それはそれは丁寧に次のような一文が書かれていたからだ。

『自分の子どもに食べさせたいモノ作りをしています。だから国産小麦・大豆で作ることにこだわりました。国内の農家の人たちが手塩にかけて育てた農産物を使って、身体にも心にも美味しいモノをお届けします。大地の恵みに私たちの想いを込めて。すべては子どもたちのために・・・。』

うちの子もポランに

学童保育所は豊橋市内に公設と民営合わせて現在85カ所ほどある。ポラン(の前身)が始まった昭和53年(1978年)の頃はわずか10カ所ほどだったからずいぶん増えたものだ。保育者(支援員と呼ぶ)の数も相当な数になっているはずだ。

昨年の春、ちょうど一年前、市役所の担当者からその支援員のための定期研修会で話をしてほしいという依頼があり、その時はお断りした。7,8年ほど前までは、いろんな場所に招かれて話すこともあったが、それはポランのことをよく知った上で積極的に話を聞きたいというケースだった。普通に考えれば、自然の豊かな場所で、資料館に収められそうに古い遊びをしているポランの話を、住宅街にある学童保育所の若い支援員が聞いても、参考にならないと考えるのが当然だろう。今や参考になるどころか、無理だと突き放されるのがオチだ。そういうことも実際よくある。それがお断りした理由だった。しかし、最初の依頼から数か月後に再び強く依頼されて考え直した。参考になるかならないかは、先方にお任せすればいい。一人でも二人でも、あるいは遊びの一つでも二つでも、自分の保育所でも取り入れてみようと思ってくれる支援員がいればそれで十分じゃないか。ありのままのポランの様子を語らせてもらうことにした。

ポラン
ポラン上棟式。6年生たちも上で大工さんたちと「木遣り」を歌いモチを投げた。1996年7月。

今年の1月に市役所内の会場で研修会は行われた。ポランの沿革と遊びについて話した。建物の建設が遅れて苦労したこと、何を作るにも肉体労働するしかなかったこと、そしてベーゴマや竹馬やスケボーやナイフの話、松葉ソリのことなどを、写真や動画で紹介した。子どもたちの様子を紹介するだけで時間は過ぎ、ボクの考え方や思いなどは用意したことの半分も伝えることができなかった。でもそれはそれでよかったような気がした。

後日、その講演会の出席者が書いてくれた感想が送られてきた。参加者の反応は予想以上によく、「刺激になった。自分のクラブではできないことも多いが、できることをやってみようと思う」という主旨の感想が多かった。「自分もやりたかったがやっていいことなのか自信がなかった。でも、今回、自分の考え方でいいんだと自信が持てた。少しずつやってみようと思う。」そんな感想もあった。中には、子どもというものの見方が変わった、とか、自分の子ども(や孫)をポランに入れたい、というものもあった。今回のことを引き受けてよかったと、あらためて思った。

その時言い足らなかったことをここで書くことにする。ポランを続けてきた思いについてだが、それは単純なことで、「子どもが子どもらしく過ごせる空間と時間を用意したい」からだ。それがたまたま昔の遊びであり、それを遊んでいる子どもの姿を見ることが楽しくて幸せだったからである。近頃思う素直な気持ちだ。

凧を揚げる

前の続きのような話になるが、ポランでは昔から凧を作って揚げてきた。最近では子どもたちの技術が追いつかなくなったので、骨を4本削り和紙に本格的な凧絵を描いて作る凧は希望者だけの特別行事にしてある。今年も10人ほどの子が作った。この凧は、糸目の調節がむずかしく、引き解け結びを何度も繰り返さなければならないので、今や子どもだけで空に揚げることはほとんど不可能といえる。先日、三口ひろばに行って揚げたが、間近に迫る石巻山と青空をバックに泳ぐ凧、そしてその糸の端を持つ子どもの姿は、景色として何とも言えずいいものだった。

ポラン

竹の箸づくりでナイフの使い方に慣れた2年生には、骨が2本のビニール凧を作ることを全員に義務付けている。こちらの凧は作るのも揚げるのも比較的簡単で、風さえあればよく揚がる。ポランの前の田んぼ道でもできるので、おやつの前のちょっとした時間に揚げている。自分の名前を大書した自分で作った凧が、糸を繰り出すだけでスルスルと揚がっていく。2年生にとってはうれしいことにちがいない。風の強弱によって糸を引く力が変わる。風と対話していると言われる凧揚げの魅力は、こんなビニール凧でも味わうことができる。和紙でなくても凧に変わりはない。カラフルなビニール凧を子どもたちが揚げている景色ものどかで本当にいいものだ。通り過ぎる車がスピードを落としていくこともよくある。今や貴重な光景なのだろう。ぜいたくな時間だと、ボクは思っている。

プラネタリウムの中を帰る

最後までポランに残っている子どもたち数人と、毎日、真っ暗になった道を歩いて帰る。空を見上げると冬の星座が輝いている。晩秋の頃は東の山の上にかろうじて姿を見せていたオリオンが2月の今頃は天高くにある。その下にはひときわ明るいシリウスが青白い光を放っている。あれはオリオン座のペテルギウスでこっちはリゲル。子どもたちに指さして教える。その上にポツンとあるのはおうし座のアルデバランでこっちにあるのは・・・。ややこしい名前も多いが、毎日聞いていれば自然に憶えるものだ。今では、冬の有名な星座のほとんどが分かる子も現れた。小犬座のプロキオン、ぎょしゃ座のカペラ、ぼんやり光るスバル。少し暗めで二つ並んでいるのがふたご座のカストルとポルックス。楽しい冬の帰り道だ。「冬の星座」という唱歌がある。美しい歌詞とメロディーが郷愁を誘う。「♪木枯らしとだえて/冴ゆる空より/地上に降りしく/くすしき光よ/ものみな憩える/しじまの中に・・・」。今度、劇の中で歌ってもらおうかな。
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