2馬力のエンジン搭載車で遊ぶ
ダンゴムシのレースをする。走るのはダンゴムシ。レースはまず自分のダンゴムシを探すところから始まる。もちろんよく走りそうなヤツを探すのだが、なにせ急ぎ足で突っ走っているダンゴムシなんか誰も見たことはないのだから、分かるわけはない。手当たり次第に板や石をひっくり返してみる。こんなにありふれた生き物なのに、自分で見つけられない一年生もいる。ダンゴムシに触ったことがないというのだからそれも当然だ。田舎の子も暮らし方はあんがい都会と変わらないのが実態か。
競虫場は直径一メートルの円が描いてあるベニヤ板の上。その円の中央には紙コップの口ほどの小さな円が描いてある。そこがスタートで、大きな円に到達する順番を競う。どっちに向かって走ってもいいようにゴールは360度の方向にあることになる。出走は3頭ずつ。各競走虫の背中には絵の具で目印がつけてある。子供たちは中央の○の中に自分の虫を置く。スターターのボクはその3頭の上から透明のコップをかぶせる。最初のうち、ダンゴムシたちはコロンと丸まっているが、やがてたくさんの足を出して容器の内側をモゾモゾと動きはじめる。なかなか起き上がらないのもいるが、だいたいは仲間の動きにつられて動き出す。スターターは3頭がそろって動き出す瞬間を見計らって容器を持ち上げる。各虫は一応いっせいにスタートする。短足でノンビリとしたイメージの割には、多くがソレッとばかり外に向かって走り出す。そして少しらせん状にカーブを描きながらゴールする。でもそこはダンゴムシのこと、3頭に1頭はじっとしたまま動かなかったり、途中で走るのを止めたり、ゴール直前で円に沿うように進んでゴールラインを越えなかったり、ついには後戻りするのもいる。虫主としてはガンバレ、ガンバレと応援したくなるところだが、ダンゴムシの前方に立って激しく手を振ると虫たちが驚いて立ち止まったり逆走することもある。だからオーナーたちはスタートしたら黙って見つめるしかない。あなた任せ虫任せの、まったく応援のし甲斐のないレースではある。
一回目予選を勝ち抜いたものだけでまた3頭立てのレースをする。一回目はぶっちぎりで勝ったのに次は全くやる気を見せないものや、次のレースまでの間に粗雑に扱って足を傷めたのか、走り方が変になって負けるのもある。そんなことを繰り返して4度目が決勝戦となる。そしてこのレースを制したのはマガイノコハネン。2位はアンドオトホマレ。運次第の勝負とはいえ、選虫眼がよかったのかもしれないし、レースの間に優しく大切にした結果かもしれない。運を引き寄せる何かがあったと思いたい。
昔からある遊びで、本来は「陣取り」という名前の遊びが原型である。空き地や広場に適当な樹木などを「陣」として、互いの陣を奪い合って遊んだ。このやり方だと、5,6人ずつの2チームが適正なので、ポランでは大人数でも遊べるように手を加えてある。樹木の代わりに空き缶(今はカンではなくぬいぐるみ)を奪い合うやり方にし、名前も「カントリ」に変えた。激しく格闘する遊び
【コート】(人数や年齢によって調節自在)
30メートルほど離れた場所にチーム全員が入れる大きさの陣地を描く。その3メートルほど前方に宝を置く小さな円を描く。【遊び方】相手のスキをついて宝を奪って自陣に持ち帰れば勝ちとなる。問題はどうやって奪い取るかということである。いくつか大事なルールがある。まずはAチームの○アが自陣を出て相手の宝置き場に近づくと、当然Bチームの□イが奪われまいとして飛び出して来る。ここでルール①《陣を先に出た者は後に出た相手より弱く、タッチされると捕虜になって相手陣につながれる》。つまり取ろうとして手を伸ばした時に、陣を出た相手にタッチされると捕虜になる。だから逃げる。□イは逃げる○アを追いかけてA陣近くまで来ると、Aから○ウが飛び出し□イを追う。□イは○ウより古いので逃げなくてはならない。さっきの逆になり□イがB陣のそばまで逃げ帰ると仲間の□エが○ウを追うことになり、○ウは逃げる。ルール②《一度自陣に入ると再び新しくなれる》。つまり、最初の○アや□イのように自陣に逃げ帰って出直せばまた新しくなって出ることができるわけである。こんなことを繰り返していると相手の守備にスキが生まれる。その瞬間を逃さず宝をかすめ取るのである。ルール③《捕虜は敵陣に一列につながる。味方の誰かがつないだ手と手の間を切ってくれると逃げることができる。
【遊び方】
相手のスキをついて宝を奪って自陣に持ち帰れば勝ちとなる。問題はどうやって奪い取るかということである。いくつか大事なルールがある。まずはAチームの○アが自陣を出て相手の宝置き場に近づくと、当然Bチームの□イが奪われまいとして飛び出して来る。ここでルール①《陣を先に出た者は後に出た相手より弱く、タッチされると捕虜になって相手陣につながれる》。つまり取ろうとして手を伸ばした時に、陣を出た相手にタッチされると捕虜になる。だから逃げる。□イは逃げる○アを追いかけてA陣近くまで来ると、Aから○ウが飛び出し□イを追う。□イは○ウより古いので逃げなくてはならない。さっきの逆になり□イがB陣のそばまで逃げ帰ると仲間の□エが○ウを追うことになり、○ウは逃げる。ルール②《一度自陣に入ると再び新しくなれる》。つまり、最初の○アや□イのように自陣に逃げ帰って出直せばまた新しくなって出ることができるわけである。こんなことを繰り返していると相手の守備にスキが生まれる。その瞬間を逃さず宝をかすめ取るのである。ルール③《捕虜は敵陣に一列につながる。味方の誰かがつないだ手と手の間を切ってくれると逃げることができる。
【実際のようす】
様々なスポーツに応用されるトレーニングの方法の一つにシャトルランというのがある。コーチの笛の合図で反転してダッシュを繰り返すあれである。陣取りはシャトルランの代わりに使えばとても楽しいトレーニングになる。ただし、全体の光景はずっと複雑で、外から見ていても初めての人には何がどうなっているのか分からないだろう。常に数十人が追いかけたり追いかけられたりしているのだから。ただし、当事者になれば、自分が誰を追いかけ、誰から逃げるかだけ把握していればいいので、見ているよりも難しくはない。この遊びのよい所は、役割分担が自然にできる点である。足に自信がある子は宝を奪う役に、そうでない子は宝を守る役に徹したり、捕虜を助けることだけ考えていたりすればいい。何となく自分の適所を見つけて遊ぶことができる。低学年のうちは自分にわかることだけやればいいし、高学年になれば駆け引きの中から勝機を見つける楽しさを知ることができる。真剣に集中する子はもちろん、適当にサボリながらやっている子もそれなりにチームの一員として格好がつく。育つ能力もいろいろある。ダッシュする能力はもちろん、数人の相手に囲まれながら、フェイントや身をよじらせて相手のタッチをかいくぐるなど、総合的なバランス感覚が育つ。ゲームの流れを読みながら相手の守りの一瞬の隙を逃さない洞察力。相手の重心の位置を見て自分の走る方向や速さを瞬時に判断する観察力。そしてチームプレイの楽しさがありながら、負けた時のみじめさが少ないというのもこの遊びのよい所だろうか。
Sケンについては前号で書いた。4月に入学したポランの一年生たちはこの激しい格闘遊びをこれまでにすでに数回やっている。ルールが分かってくるにつれて闘い方も激しくなってきた。でも、突進する方もされる方も、まだ力加減や闘うコツがわかっていないので、見ている方はハラハラする場面もある。とにかく相撲や柔道やレスリングのような戦い方ならOKで、ボクシングやキックボクシング、プロレスの荒業のように殴る蹴るや顔を攻撃することはNGである。それが昔からの一般的なやり方だ。こんな取っ組み合いのケンカのようにも見える遊びだが、40年近く見続けてきてメリットはいろいろあると思う。精神的に覚醒すること、いざという時にガッと力を出せるようになること、痛いことや危険なことが体で理解できるようになり、それは相手への優しさにもつながること、などである。他にも、男の子の心の奥に時として潜む暴力願望のようなものが、こういう遊びを通して健全に昇華されているのではないかということも思う。だからこの程度の格闘遊びにはひるまずに挑んでほしいし。
さて、激しさを増してきた一年生のSケンだが、ある日、負けが続いたチームのX君が、泣きながら首筋に血管を浮かせて叫び始めた。「(陣地を)出るな!守れ!行くな!」。パニックを起こしているように見えた。てんでバラバラに敵陣に突っ込んでは無為にやられてしまう仲間に対して「そんなやり方では負けるだけだということがどうして分からないのだ!」とでもいいたげな、悔しさと強いイラだちが混じったX君の気持ちを感じた。そんなことが2度ほど続いた。3度目の時ボクはいたたまれないような気持ちで、とにかく落ち着かせようと、「よしよし、分かったヨ。みんな勝手に死んでしまうもんネ。もっとみんなで固まって戦った方がいいよね。わかった、わかったからね」と言いながら、泣き叫んでいるX君の肩や背中や汗ばんだ額にしばらくの間手を当てていた。すると落ち着いてきた。そしてパニック状態に見えたX君が実は案外そうでもなく、味方の背後に迫った敵の存在を知らせるほど冷静に状況把握をしていることも分かり、安心した。
NHKのテレビによれば、誰かに体をさすってもらうと痛みが和らいだり気分が楽になるのは、脳の中の海馬からオキシトシンという物質が分泌されるからだそうだ。マッサージ効果の科学的根拠だ。ことに母親が子の心に与えるスキンシップの効果は絶大らしいが、ボクの手にもオキシトシン効果が少しはあったのかな。
スケートボードのコースを作った。今や名物遊びだが、今年は滑り台の代わりとして楽しむ子はいても、立ち乗りで難しいカーブを乗りこなすことに挑戦する子が少ない。最初からできないと決めつけているようである。低調なのはスケボーに限らない。竹馬、ベーゴマ、ビー玉、ナイフ・・・ポランの遊びのほとんどが低調である。「もっとうまくなりたい」「勝ちたい」という気迫や負けじ魂を見せる子が減った。原因の一つは《映像社会》にあるとボクはみる。今はプロスポーツのプレーヤーの優れた技をみんなが映像で見知っている。あるいはオリンピックなどの国際舞台で活躍する選手のことをみんなが知っている。昔の子供は、巨人の長嶋の名声は知っていてもプレーは見たことがない。だから臆することなく自分も長嶋になれると思えた。今、イチローや大谷君になるには才能はもちろん、家族ぐるみの献身的な応援が要ることを何となくわかっている。成功への苦労話を知らないからこそ憧れと夢が同化し熱くなれる。今は、《身の程を知る》ための材料が多すぎて、子供たちもどこか醒めてしまうのではないか。
原因の二つ目は《豊かさ》である。日常的なレベルでは欲しいものがほとんど手に入る。やりたいと言わなくても「やってみませんか」と向こうからやってくる。特別な日だけのごちそうが普通にいつでも食べられる。貪欲になりようがない。三つ目は《忙しさ》である。勉強、部活、習い事、土日の楽しい体験参加などで何かと忙しい。一つのことにのめり込んで、試行錯誤し痛い目にあいながら達成感を得るためには精神的余裕と同時に時間的な余裕も必要だ。大人だって忙しい時は、時間のかかりそうな楽しみは休止し、手っ取り早いCPゲームで間に合わせる。現代の子供たちの暮しは質的には大人と同じなのだ。
昔の親は物を与えてやれないことを悔やんだが時間はくれた。今は不可避的に反対になってしまうようだ。今の時代、渇望感を残してやることは、吸収力、克己心、独創性、ガッツなど、生きる力を育てることにつながるような気がするのだが。
石巻・長火塚古墳の石室の入り口で