ポランでは4時ごろにおやつの時間がある。空腹を満たすほどの量ではないが、子どもたちはそれなりにおやつタイムを楽しみにしている。その時刻になると音楽が流れ合図の鐘も鳴る。それまでの遊びを中断してみんなが部屋に集まって来る。大事な伝達もこの時にすることが多い。おやつの時間はメリハリの一つであり、暮しの中のアクセント的な意味もある。
おやつに出すものは子どもたちの健康のことを考えて、素材のいいものや着色料など添加物の少ないものを選びたいと思っている。ただし、そういうものは必然的に色が地味なもの、甘さを控えたもの、歯ごたえのあるものなどが多くなる。もちろん生協(生活協同組合)を通して買っているものだから大部分はごく普通に市販されているものと同じで、チョコもあればゼリーやアンコもありラーメンもあるのだが、胚芽や全粒粉、ゴマや小魚などを使用したものなど、子どもたちが好んで口にするものとは少し違うものも一部にある。だから時には子どもたちが「あんまりおいしくない」と感じるものもあるようだ。そういうおやつが出たときのための約束事として、どうしても食べることができないと思ったら、申し出れば量を減らしてあげることにしてある。以前に、草むらやゴミ箱にこっそり捨ててあるのを発見したことがあり、その反省からそうしている。
さて、ゴマビスケットが出たある日のこと、一人の子が大量のゴマビスケットを手にしているのを見つけた。素朴な味のビスケットが口に合わなかったとみえて複数の上級生の子がそのひとりの子に押し付けたらしい。ちょっと注意をしておこうと思いその
上級生たちを呼び集めた。その頃のボクはたまたま《自分で考えること》について思いを巡らすことが多かったこともあって、叱る代わりに「どうしてここに呼ばれたかわかっているか」と切り出してみた。呼ばれた理由がもともとあまり分かっていないような顔つきだった連中はしきりに首をかしげている。「おやつのビスケットのことだけど・・・」とヒントを与えてもはっきりしない様子。「うまくないからといって人にやることはいいことなのだろうか」と、さらに分かりやすくした。それでも誰からも返答がない。どうも自分が悪いことをしたという自覚がないらしい。そのことがわかって、さてこれは一体どうしたものかと、しばしこちらも沈黙せざるをえなかった。
思えば今はリサイクルの時代だ。不要なものは有効利用するのがよいとされる時代。おやつでも同じことが言えるのかもしれない。自分の分でも要らないと思えば欲しい子にやることに罪悪感を持たないとしても不思議ではない。食べるものを粗末に扱うことに理屈の無い罪悪感を覚えてしまう昔の人間とは違うのかもしれない。賞味期限の切れた食材をどんどん捨てる時代の子どもたちのこれが実態のような気がして、ここはひとつ、叱るより考えてもらうために話をしておくことにした。十分とはいえないが空腹を満たすためにひとりひとりに配られたおやつであること。食べ物や水は命に直結しているものだから重要度が他の物とは決定的に違うこと。食べものや水を手に入れるために必死だった時代があったこと、国によっては今でも3度の食事もままならず、飲料水を求めて毎日、重労働をする子どもがいること、大災害にでもなればたちまち食料や水の確保に必死にならねばならないこと、など話した。静かに聴いてくれた。
わずか半日程度の飲まず食わず体験すらないのが今の子どもたちの幸せな現実なのではないだろうか。
ポランにはいろいろな昔の遊びが現役として残っている。中には起源が戦前や明治時代のものもある。若いお父さんやお母さんたちの知らないものもあるだろう。今や書物や博物館に収められている類の遊びも貴重だが、それを日々楽しんでいるポランの子どもたちも日本児童文化遺産(なんてものが仮にあれば)に登録したいくらいの価値があると思う。そんな遊びを今後一つずつ紹介していくことにする。
手始めはSケン。これは比較的最近まで世間にも残っていた格闘遊びだ。地面に大きなSの字を描きその周辺に○を4つ描く。Sの中は陸地で周囲はすべて海と考える。○は海に浮かぶ島である。海の中はすべてケンケンで移動する。Sの字の内側がAB両チームのそれぞれの陣地。陣地の隅には宝の置き場がある。
【勝敗】
相手の陣地に攻め込んで宝を奪い、少しでも早く自陣へ持ち帰って宝置き場にタッチしたチームの勝ち。
【ルール】 海での戦いはケンケンのまま行う。海でケンケンの足を替えるとアウト。 両足や手、膝、尻などが地面に着くのもアウト。 Sの線の切れ目が出入り口で、それ以外の場所から押し出されたり引っ張り出されたらアウト。
【実際の遊び方】 だいたい同学年の子か同じくらいの強さの子とジャンケンをして2チームに分かれる。ゲームの始まりは誰かがあるいはみんなで「ヨーノ始め!」と声をかける。「ヨーノ」が「世の」なのかただ単に「せーの」と力を合わせる時の掛け声なのかは不明。昔から決まっている。子どもの遊びにはなぜそういうのか由来が不明なものが多い。序盤戦は出入り口付近で引っ張り合ったり、ケンケンで外側から近づき油断して突っ立っているような子の腕や衣服をつかんで線の外に引っ張り出したりする。中盤は、相手陣に攻め込むための足がかりとして島を占領しあう。そしてある程度人数的に有利になったチームが相手陣の入口に集結し、攻め込むタイミングをうかがう。守る側は迎え撃つために身構え、にらみ合いが続く。そして今だ!というときにダッとなだれ込んで終盤戦となる。ここが一番激しい戦いだ。闘い方は相撲よりもレスリングや柔道に近い。相手は誰彼かまわない。全員が入り乱れてもみくちゃになる。ちょっと油断していると突き倒される。突き出される。とにかく相手を場外へ出すため、そして出されないための壮絶な戦いとなる。そんな戦いの中で一瞬のスキができたときに誰かが宝(ケガなどしないように小さなぬいぐるみや赤ちゃんの靴を宝として使っている)を奪って逃げる。もちろん、攻め込まれたチームも誰かが自陣の中のもみくちゃから抜け出して、守りが手薄となっている敵の陣地へ行って宝を持ち帰ることも可能である。この段階になると宝をタッチされ ないよう、またタッチしやすいよう、互いに目の前の相手と闘いながら、宝を持つ子の動きを気にする。それをかいくぐってきっちりと宝置き場にタッチしたチームが一勝となる。そしてすぐさま「ヨーノ始め!」となって次の回が始まる。
Sケンは「サクラおとし」「8の字」と並んでポラン3大格闘遊びの一つである。ケンケンで移動することを除けばこれが一番単純な肉弾戦である。子供時代に体をぶつけ合い、取っ組み合って遊ぶことには肉体的にも精神的にも多くのメリットがある。何より楽しいことだ。痛いけど楽しい。楽しさを子どもたち自身が知っているからこそ何十年も人気を保っているのだろう。こんなに痛くて、涙を流すことも多いのに、低学年の、か弱そうな女の子たちでさえ、自分の誕生日の特典としてこの遊びを選ぶ子がいる現実には、こちらが勇気づけられる。元気に遊ぶ子供の姿というものはいつも大人を勇気づけてくれる。それが子どもという存在の不思議なところだ。
格闘遊びのメリットについては、子どもたちが感じている《楽しさ》の中身とも関係すると思われるので、次回に別の格闘遊びを紹介するときに書くことにする。
プールの前の板張りデッキが老朽化したので交換の準備をしている。そのデッキの一部に穴があいていて地面が見える。1メートルほどの深さがある。そこを覗いていた1,2年生たちが、底に青いペットボトルのキャップのようなものを見つけた。板一枚分の隙間の幅は狭く、子供の腕がやっと入るくらいだ。板の上に這いつくばって腕を伸ばすが、青い物体は子どもの指の先、2,30センチ。何人かがやってみるがダメ。「ねえねえロクさん、アレ取って」と、ボクに助けを求めてきた。状況はすぐに飲み込めたが、もちろんこんなことでホイホイと手は貸さない。「何とかなるじゃん、考えれば・・・」そう答えておく。見ていると竹ぼうきの柄ほどの太さの短い棒でつつき始めた。多少は近づいたようだが、竹が太すぎる。「もっと細いほうがいいかもよ」とアドバイス。キャップのようなものだからよくしなう方がいい。ナンテンの枝のようなものを探してきてやがて成功した。その間、10分か15分。
前回のおたよりで、大人が介在しない時間の必要性を書いた。そして『ポランの大人は不親切で、あまり子どもの要求に応じない』と書いた。例えばこんな風にだ。大人はつい取ってやりがちだがそれをすれば「ありがとう」で終わり。でも、親切な大人がいなければ、子どもたちは知恵を働かせておのずといろいろ工夫する。もしもボクのアドバイスがなければもっと時間がかかったかもしれないし、あきらめたかもしれない。本当はそれが一番いい。大人が出ればそれだけ子供が学ぶ機会は減る。単純な算数だ。自分が関わった方がいいのか関わらない方がいいのか。放課後という子供時間に子どもたちと接している大人は、自分の存在や関わり方に常に自覚的でなくてはいけないと思っている。
あの青いキャップは、取ってみたらそれほどのものではなかったのか、騒ぎにはならなかった。
春の合宿をした。午後に集合し、試行錯誤のテント張り。そしてハンゴウ炊飯。半年前のたき火特訓の成果がバッチリだった。気持ちの良い新緑の下にテーブルを並べて夕食。夜は、怖いけどやりたい、やりたいけどやっぱり怖いキモ試し。奥のダムまで150mほどの山道を往復する。一人だけで行くトップバッターに名乗り出る子はいなかった。怖い話などしなかったというのに・・・。でもキャーキャー言いながら楽しんだ。
翌朝はビクビクの目玉焼き作りから始まり、テントなどの片付け。その後は恒例となっているテント班対抗のカーリング大会。ポランでは集合するときは何となく集まるだけで、号令をかけたりきちんと整列したりしたことがない。ただ、最近はこちらの話に注目しようとせずにいつまでもガヤガヤしている傾向にある。この時もカーリングのルールを説明しようとするのだがいつまでも集中しない。そこで冗談半分で「気ヲツケイ!前ヘナラエッ!」と腹に力を込めて号令をかけてみた。とたんに子どもたちがシャキッとこちらを向いた。その反射的な行動に思わず苦笑が込み上げた。なんだこいつら、学校式にやればいいのか。なら簡単じゃないか。そのままボクは真面目な顔で冗談を続けた。「只今より、春の合宿恒例のカーリング大会を始める!選手宣誓!ハットリトシキ君!」 一番前にいて目に付いたトシキを指名した。彼は言われるままにみんなの前に進み出て片手を挙げた。「ボクたちは、カーリング大会を、エート、エート、がんばることを誓いま〜す!」冗談とも真剣とも見えるトシキの様子が実に可笑しかった。さすが現代の子!ちなみに「ボクたちは」ではなく、いつものトシキらしい口調で「オイラたちは」とやったらザブトン10枚だった。
ダンゴムシレース
自分で炊いたんだゼ
森の沢で遊ぶ