糸電話

原始人ごっこ

原始人ごっこ

何年か前に「火起こし」の道具を5個ほど作った。はずみ車をつけた回転式のものである。倉庫を整理した時にそれが出てきたのでそこら辺に放置しておいたら、子どもたちが面白がって回し始めた。地面の上でやっていては煙など出るはずもないが、滑らかに回転を続けることにブンブンごまと同じ面白さを感じるらしく、毎日、誰かがやっている。板の上でやるようにしたらそのうちに穴もあいてきた。地面に座り込んで汗をかきながら、直径20僂曚匹里呂困濕屬鬟哀襯哀襯哀襯哀襪笋辰討い襦そのうちに真剣な表情の大人も加わり、グランドの片隅に妙な原始人ワールドが広がった。

いざ夏休み

7月23日、猛暑の中の夏休みが始まった。ポランは山の下にあり、緑に囲まれている。外から来た人は、ここは涼しいと言う。しかし、同じ場所にいて他と比較ができないので、そう言われても残念ながら暑さが減ることはない。午前中、子どもたちは学校のプールへ行く。午後1時半頃に始まったポランのプールには最初から最後までずっと入っている子の姿もあった。そこにも今年の暑さの異常さが表れている。

猛暑にもたんたんと

愛知県民の森公園

バス遠足。目的地は今年も愛知県民の森公園だ。38年間続けてきた太平洋での波遊びを止めたことは残念ではあるが、この川での遊びも悪くない。海に比べれば雄大さや解放感には欠けるが、水は冷たくて周囲の自然の雰囲気もよく、みんなで避暑に来る場所としてはなかなかグッドである。せっかく三河山間地まで行くのなら川遊びだけではもったいないと思い、山歩きも体験してもらうことにした。低学年は「風穴」という場所まで、上級生はさらに奥の滝まで徒歩で往復することにした。

さて、その高学年の話である。折からの暑さ、世間では連日熱中症騒ぎである。もちろん今日も朝から高温注意報が出ている。そんな中を片道1時間ほど歩こうというのだから、現地でそれを発表した時の子どもたちの反応からは、落差数十メートルの大きな滝への期待感はうかがえなかった。計画した身としては、炎天下ばかりを歩くわけではないので大丈夫だとは思うものの、これだけ熱中症ネッチュウ症と叫ばれる中で、救急車も来られないような場所を歩くことへのためらいは正直なところあった。低学年と分かれていざ歩き出すとやはり暑い。15分ごとに給水タイムをとりながら進むのだが、子どもたちは次第に無口になる。列がだんだん間延びしてくる。先頭を行く6年生たちは引率の大人を無視してどんどん進む。つづら折りの道のカーブを曲がっても先頭が見えなくなる。標識がしっかりしているから道に迷うことはあるまいが、やつらはこんな暑さの中を歩かされることにプリプリと腹を立てているのだろうか。そんな思いが頭をよぎる。そんな頃、ふと気づくと歩いている道の脇の沢に水がない。いつもならこの先の滝から流れ出た澄んだ水がとうとうと流れているのに今はチョロチョロだ。ということは滝も貧弱か。「ムム・・・・」。普通なら、そこに着くまでの苦労が一瞬にして吹っ飛ぶくらいのスケールの滝であり、だからこそ子どもたちを連れて行きたかったのだが…。

水枯れの滝

滝の入口まで来たのに案の定、水音がしない。先頭の子はすでに滝壺に着いているはずだ。「何だよオこの滝、水がねえじゃんか」。そんな風に言われることを覚悟して滝壺へ行ってみたが、そんな言葉は飛んでこない。子どもたちは意外にも淡々と、サバサバした表情をしている。思い過ごしだったか。内心ホッとする。それでも、「ほら、上を見ろよ。本当ならあんな高い所から水がドドッと落ちて来てるんだけどなー。あんな上から水が落ちて来る様子を想像してみろよ」と、ボクは言い訳がましいことを口にしていた。

涼しい風が吹き抜ける場所を探して弁当を食べ、同じ道を淡々と歩いて、低学年が一足先に泳いでいるであろう川まで戻る。その時もそしてそれ以後も、チョロ滝だったことを不満めいて言う子は誰もいなかった。来年は事前に水量を確かめて、涼しげな水しぶきが舞い上がる滝へ連れて行ってやりたいものだと、ボクだけがひとりグジグジと思っていた。

体験してほしい喜び

一年生のある子がベーゴマのテストに合格して小躍りして喜んだ。その素直な喜びぶりはボクに忘れかけていたものを思い出させてくれた。それは、どれだけお金を積もうが手に入れることのできない喜び、ひたむきに努力する以外には手に入れることのできない喜び、そういう喜びを体感することの意義である。

昨今は、テーマパークや娯楽施設、観光地などに出かける喜び、豪華なレストランでの食事をしたり高級スイーツを食べる喜び、流行商品やブランド物を買ってもらう喜び。子どもたちの日常はそういう喜びにあふれている。ところが、例えば甲子園を目指す球児たちが地方予選を勝ち抜いて手に入れる喜びやオリンピックでメダルをとった喜びは、そういうものとは違う。何年間もの地道な努力なしには絶対に手に入らないものである。つまり、来る日も来る日も、つらいトレーニングで肉体を鍛錬し、怠け心にも打ち勝った末に得られるのが甲子園の切符でありメダルである。それはけしてお金で買えるものではない。一年生にとってベーゴマに合格することはそれに匹敵するほどの価値があるものかもしれないと、その子を見ていて思ったのである。一年生にとってベーゴマという小さなコマはそれほどにむずかしいのだ。

昔からやっているからという理由で今でも一年生にベーゴマを課しているのだが、子どもたちの手先の事情が変わった今では、全員が一年生のうちに合格できなくてもしかたがないと思っている。がんばり屋の子は一足先に楽しいベーゴマの闘いの世界に入って行けばいいし、そうでない子は来年になってもそれはそれでいい。願わくば、同級生の姿に刺激されてガンバロウという気持ちを起こしてほしいとは思うが。

ただ、最近気になっていることがある。軟弱傾向にある男の子たちのことである。簡単に手に入るイージーな喜びに毒された結果なのか、目の前の安易で刹那的な喜びを求め、地道に努力することを《面倒くさい》と避けたがり《ムリ》と放棄する子が増えた。全般的にその傾向がある。将来への危機感すら覚える。一昔前の男の子はクワガタやカブトムシ欲しさに、蚊に刺されたり汗だくになるのも苦にせず、ボクにせがみ、ボクの後について山を歩き回ったものだ。今はそんな子がいない。なぜだろう?ベーゴマ大会で下級生に負けて悔し涙を落とす子がいた。今は、2年生の女の子に負けた5年生の男がケロっとしてマンガを読みふける。なぜだろう?竹馬でヨチヨチ歩けるようになるとそれで満足しそれ以上に熟達しようとしない。なぜだろう?《時代だから》とか《しかたがない》とかで片づけてしまっていいのだろうか。淡泊で面倒くさがりは女の子より男の子に多い。それはどうしてなのだろう?今年の一年生たちも、二人しかいない女の子は二人ともベーゴマに合格したというのに、13人もいる男の子はまだ3人だけ。

そういう男の子の現実を見過ぎてしまったせいか、ボクは近頃つくづく思う。これからは掛け声だけでなく本当の意味で女性に社会進出してほしい。女性が政治家も社長も校長も様々な要職を担えばいい。心底そう思う。女性にもいろいろいるだろうが、総じて男よりは穏やかで優しいだろう。男のように戦争はしたがらないだろうし、戦闘機や軍艦など危険なオモチャなど欲しがらないだろう。男性は、女性ができないような力仕事や危険な仕事を中心にして女性を徹底的にサポートする側に回る。それがいいのではないかと真剣に思う。

追記 断っておくが、男の子を見捨てたわけではない。ポランではこれからもベーゴマはもちろん、山登りやサイクリング、竹馬やナイフ修行など、イージーでない喜びを知ってもらう行事(そんなつもりでやってきたわけではなく、楽しいから続けてきただけなのだが、おかしな時代になったものだ)は続けていく。そして男の連中の尻はこれからも叩くつもりだ。念のため。

潮風を受けて

ヨットで三河湾を走る。高学年だけの特別プログラムだ。今回はラグーナ港の中まで入ってもらうことにした。港の中でちょうど出港してゆく海賊船風に造られた楽しげな船とすれ違う。サニー号という名の船で、子どもたちは乗ったこともあるらしい。その船のデッキにいる観光客と手を振り合う。建設中の高級ホテルを海の側から眺めながら沖に向かう。戻ってくるサニー号と再びすれ違う。三河大島へ降ろしてもらい昼食。岩場には潮だまりがたくさんあり、ヤドカリやイソギンチャクや小魚と遊ぶ。再びヨットに乗り込む。帰路はエンジンを切り、帆を広げて走る。ヨットの進む方向を操る舵棒も握らせてもらう。南からの良風を受けて順調にハーバーに戻る。

贅沢な時間を過ごさせてもらった。

ヨットで三河湾 ヨットで三河湾

水かけ合戦

普段着のまま二つのチームに分かれて水をかけ合う。思い切り派手にかけ合う。ポランの名物行事の一つだ。普段着のままというのがミソだ。裸や水着の相手に水をぶっかけてもカワズにションベンで、もっとかけてくれと言われてしまって面白くない。やはり普段着でなくてはだめだ。ところが今年、普段着の下に水着をきている子がチラホラいた。困ったものだと思ったが真相は合戦の後に着るための着替えを忘れたのでせめて下着だけは前もって水着に着替えておこうと考えたということらしい。

今年はちょっとわけがあってボクは写真係りに回っていたために、水がビヒャ〜と飛び交う真ん中にいなかった。だからなのかこうして様子を思い出して書こうとしてもどうも生き生きした子どもの様子が浮かんでこない。しかたがないので写真を2枚ばかり載せておくことにする。楽しげな様子は写真から想像してもらいたい。

水かけ合戦 水かけ合戦