ポランの卒業生で船乗りになった子がいる。そのW君が船乗りになろうと思ったきっかけは、ポランの夏休みのプログラムでヨットに乗ったことだったという。楽しそうだからと思って始めたプログラムが、一人の子の職業の選択に影響を与えたことを知ったとき、ボクは静かな喜びを感じたものだ。(*ヨットでの三河湾クルージングは数年間続いた夏の特別プログラムだったが、今はいろいろな事情で残念ながら続いていない。)
最近、歳を取ったせいだろうが、過去のことを思い出す時間が増えた。そんな中に印象深く浮かんできたことの一つがこのW君のことだった。ただし、いまだ現役であるボクにとって過去と現在は地続きだし、未来ともつながっている。懐かしくて楽しい過去の思い出は、ほとんど同時に今の子たちの姿と重なってくる。今の子たちにとって、ポランはどんな場所になっているのだろうか、という反省のための問いともつながってくる。
学童(保育所)の仕事を始めた当初は、とにかく楽しい場所にしたい、思うのはそれだけだった。今日は何して遊ぼうか。きのうの遊びをもっと楽しく発展させるにはどうすればいいか、そんなことだった。次の土曜日には、どこへ行こう、次の代休日はどんな楽しいことをして過ごそう。今頃の季節なら、椎の実拾いをしよう、アケビや椋の実を食べさせてやろう、芋堀りをして焚き火で焼き芋をするのもいいなあ、河原で豚汁も楽しそうだ・・・。楽しいことはたくさんあったし、実際、どんどん実行もした。当然、ボクの思いつくことは自分の子供時代のことであり、それをその時々の子に体験させて、子供たちに受け入れられたものが現在まで残ってきているわけである。
受け入れられた遊びの中にも、時代の経過とともに徐々に敬遠されるようになるものや、遊び方に熱が失われていくものもある。体力的にハードなものやコツコツと努力しないと上達しないような遊びが敬遠されがちなのは、暮らしが便利で楽になったことの反映だろう。あるいは優れたリーダー格が必要な集団遊びが盛り上がりを欠くようになったのは、他の子に指図したり命令したりすることをはばかる風潮の表れだろう。昔のガキ大将タイプの子は仲間から弾かれてしまう時代なのだ。そうなってくるとボクとしては待てよ?これでいいのかなと問題を感じることも増えた。ただ楽しければよかった15年ほどが過ぎる頃から、大人としてぜひ残したいと考える遊び、続けることに意味がありそうな体験、という視点が入り込むようになった。
さて、子供たちはどこでもどんな環境でも、いろいろなことを学びながら、身につけながら、感じながら成長する。家庭で、学校で、習い事で。そしてポランもそんな場所の一つである。そのポランでは何が育っているのかと考えてみる。こんなことができるようになった、あんなことができるようになった、という類のことは別として、40数年間を凝縮して見た時に、縦に貫いている糸のように感じるものが2、3見えてくる。それはまず《人間関係を築く力》が育つということ。簡単に言えば仲間とうまく付き合う力のことだ。気の合う子もいれば、全く肌の合わない子や、乱暴や意地悪をする子もいるわけだから、うまく付き合うという中には、イヤな相手と適当な距離をとってやり過ごすことも含まれる。そのあたりのことは、大人の目の届かない所で育つものが本物の力だとボクは思うから、ポランがそんな場所になるよう大人の関わり方に配慮している。それはずっと変わっていない。
次の縦糸は《情緒の安定的な成長》だ。喜怒哀楽の感情は、素朴であまり刺激的でない環境で育つ方がいい。自然のものや同年代の仲間から受ける感情的刺激は穏やかで無理がない。一方、人工的なものや大人の世界から受ける刺激は子どもには強すぎたり無理があったりする。例えば、今や大人と子供の境目がなくなってしまったネットやSNSの世界は、子供には刺激の強いものが混在している。でも、慣れてしまうとそんなことは配慮されなくなる。大人と子供の食事の内容に境目がなくなったとき子供にも成人病が現れるように、情報の内容に区別がなくなった時、心や脳への悪影響はあるはずなのだが、体と違って心の中のことは見えないので問題化しにくい。それだけに情緒的に問題が起こってからでは治癒しがたくもなる。《子供時間》が果たす役割や意義は、情緒の安定ということにもあると思う。
もう一つ思うのは《生きる楽しさ》ということ。子供時代を屈託なく充実して過ごすことが将来の生きるエネルギーにつながる。解決できそうもない問題を抱えて絶望しそうなときに、何とかなるサ、と楽天的に前を向いて歩きだせるのも、素朴で動物的だった子供時代の感性や発想のようなものが、安定して心の底に保持されているからではないだろうか。サヨナラサンカクマタキテシカク・・・。《夕焼け、サヨナラ、またあした》。