今年もビヒャーッと水が飛び交った「水かけ合戦」。今の子供たちは複雑な社会を生きている。だから複雑な感情を持って育つ。それは時に生きにくさにつながる。 だからこそこんな理屈抜きであっけらかんと楽しい行事の必要性を感じる。
7月。オリンピック、パラリンピック、やるのやらないの。観戦者を入れるの入れないの。なんだかんだと騒いではいたものの、誰がどうやって決めたのかよく分からないままにオリンピックは始まることになった。あんなことやこんなことに気を取られている間に夏休みはすぐそこに迫っていた。心のギアを一段上げて7月21日を迎えたと思ったら翌日からカレンダーにもなかったオリンピックがらみの連休。拍子抜け。結局、プールに水を入れて本格的にポランの夏休みが始まったのは26日だった。
オリンピックといえばかつては《参加することに意義がある》とか《アマチュアの祭典》とか《スポーツに国境はない》とか言われていた。《金にまみれたオリンピック》などと批判された時代もあった。今やプロが参加することは当たり前で、開催を巡って莫大なお金が動くのは当たり前になった。今回の場合、開催費用は公式には1兆6000憶円とか言われるが、道路工事や周辺の環境整備のために別途の費用が国や東京都から出ている。一体どれだけのお金が投入されているのか分からない。《素朴な五輪》とか《復興五輪》とかの理想も、五輪を東京に招致する項目の中にあったはずだ。それがあったから支持した人も多かったのではないだろうか。最近ではそんな言葉はほとんど聞かない。理由はともあれ結果的には普通の国民の誠実な思いが活かされない金食い五輪になっているわけで、これだけの莫大な金の使い途としてどうなのか、考え直す点はいろいろある。スポーツで大きな感動を得たければオリンピックでなくても、世界大会(各種ワールドカップ)もある。コロナ禍という不運も含めていろいろ思う。
ポランの卒業生とその友人が手作りのシャチやイルカのロボットを持って来てくれた。環境問題の出前授業。プールで泳がせた。