今年の春は、これまで経験したことのないとんでもない春になった。年度の変わり目で、それでなくても何かと変化する季節なのに、首相のツルの一声で日本中のほとんどの学校は閉鎖されてしまい、卒業式も入学式も異例の形で行うことになった。そんな中で、保育園や学童保育所は事の性格上、開設を続けることになり、ポランもいつもの年より早くそして長い春休みに突入した。春休みのプログラムは日程を組みなおして行うことができたが、その後は、どうするのが最善なのかも分からないまま様子見の期間が続いた。4月、5月は、ポラン以上にバタバタしている小学校と連絡を取り合いながら、手探りで過ごすことになった。そして6月になり、小学校も何とか授業を再開し、ポランにも以前と同じとはいかないものの、それに近い日常が戻った。
この間、「ポラン便り」を出そうかどうしようかと何度か思ったが、コロナのことに触れずに書くことができるはずもなく、それを思うと気が重くなり、つい二の足を踏んでいるうちに今に至ってしまった。秋になり、世の中も少しずつ何かを始めたり戻したりする動きが出てきたことと、ネットでこの「ポランの森から」を読んでくれている人から、中断している理由がボクの健康上の問題にあるのではないかと心配した声が届いたこともあり、少しずつ再開しようかという気持ちになった。SNSの時代に合わせた書き方にしないと読んでもらえないという指摘も受けているので、なんとかやわらかで読みやすいものにしていきたいと思ってはいるのだが、できるかな?
*《初めての方へ》この便りはボク(子供たちはロク、ロック、ロクさん、などと呼ぶがホントはロッカク)が書くブログのようなもので、チョンの協力を得て、かれこれ40年ほど続けています。年間に30号ほど出していたこともありますが、最近ではせいぜい10号どまりです。発行は不定期で、きまぐれ通信です。)
今年の夏休みはコロナによる様々な制約を受けることになった。幸い、一日も雨が降らなかったので、おやつもプログラムも基本的に戸外で行うことができた。屋外スペースが広いポランだからできたことで、冷房に頼るしかない他の学童では、苦労しながら過ごしていたにちがいない。申し訳ない気もする。
いつもは盛りだくさんなプログラムを用意するのだが、それも大幅に削ることになった。ソーメン流しは箸が触れ合うことも予想されるので中止。合宿はテントで寝るのでダメ。バス遠足も狭い空間に長時間密集することになるのであきらめた。不特定多数が集まる子供バザールなんかやってたらどこかの人に通報されたにちがいない。サイクリングは実質9日ほどしか休みがなかったので日程的に無理だった。残ったのはベーゴマとビー玉、かき氷と水かけ合戦、そしてプールだった。
中でもプールだけは何とかして開きたかった。楽しみを奪われる一方の子供たちのストレスを水の中で解放させてやりたかった。安易に中止するのではなく、何とかできる方法を検討してみることにした。小学校がプール中止を決めた理由が着替えでの密集にあるということだったので、もともと屋外で着替えるポランはその点では問題がない。水による感染はどうだろうか。リスパとか一部の温水プールはいち早く再開していたので調べてみた。留意しているのは手洗いと体温測定、そしてディスタンスということで、何か特別なことをしている風もなかった。他にも調べているうちに何となく分かったことは、空気は消毒できないが、水は消毒できるということ。だから水に落ちたウイルスの感染力は心配することはなさそうだということだった。それならばと、まずはこれまで大雑把だった消毒を、計測器を購入して数値や回数をきちんと管理することにした。そして人数や時間にも厳しい制限を設けることにした。体温を測り、男女別に4つのグループに分け、一日一回30分とした。
そんな制約だらけのプールだったが、冷たい水の中で子供たちは楽しそうだった。30分しか遊べなくても不満はないようだった。かなり神経を使ったが、やってよかった。何事もなかったからそう言えるのだが・・・、やってよかった。
水かけ合戦。
普段着のまま水をかけ合う。ただそれだけで痛快愉快。笑顔炸裂。
「てんこ」というゴルフに似たビー玉遊びがある。ポランには常設のビー玉場があり、仲間が数人集まればいつでもできる。夏休みの長い時間の隙間をこの遊びがうめてくれる。夏休みの最後には全員参加のビー玉大会がある。全員参加で、しかもハンディをつけずに戦える遊びはそう多くない。実際、高学年だけでなく3,4年生が優勝することは多い。2年生が優勝した年もあった。
ただし、一年生たちはその時期にはまだまだ指先が拙くて、ほとんど戦える状況にはない。一年生たちが腕を(指を?)磨くのは、上級生がビー玉場から姿を消した9月になってからである。今がまさにその季節である。初めの頃はみんな下手で、なかなか玉が思うような方向に飛ばない。それでもどんぐりの背比べのような仲間とやっていると、少し上達の早い子が勝つようになる。負けた方は悔しくて泣いて怒ったりする。でも、悔しさをバネにして続けていると、運も手伝ったりして勝てるようになる。そうすると負けた方がまたファイトを燃やす。こうして良きライバルが数人いるとその連中は急速に上達する。仲間の存在、切磋琢磨する相手の存在の大切さを痛感する。
さらにビー玉という遊びの面白さにも目覚めるようになる。子供の遊びとあなどるなかれ。これが案外と奥が深い。微妙な駆け引きがあり、運、不運も勝敗を左右する。親指の爪の切り方が悪いと負けにつながることだってある。ゴルフのように「このパットを沈めなければ・・・」という場面では緊張して指が震えるなんてことすらある。けっこう繊細な遊びなのである。大人でも負けることはよくある。大人や高学年は邪心が多く、無心で玉を弾く3年生の方がホールインワンを多発することもある。10月、ランドセルをロッカーに投げ込むように置いてビー玉場へ走る一年生。その手つきを見ていると、すでに来年の夏のビー玉大会で活躍しそうな子もいる。楽しみだ。
ただし、どんな遊びでもそうだが、夢中になる子とそうでない子は必ずある。今、ビー玉に夢中な子は男の子を中心に一年生の半数ほどだ。他の半分の子は、ルールをやっと覚えたという程度で、あまりやらないからそれ以上上達しない。楽しさが分かるところまでいっていない。中にはまったくビー玉を弾けない子もチラホラいる。この子たちは残念ながら来年の夏休みまでほとんどこのままになってしまうだろう。一年生の今の時期についた差は上級生になっても埋まらない。なぜだか分からないがそうなることが多い。好奇心や負けず嫌いの程度に違いがあるのだろうが、人間すべてのことに興味を持てるものではないのだから、やむをえないのかもしれない。ただ、今の子は、昔に比べていろいろなことに淡泊になった。勝ち負けにこだわるのはカッコ悪いと感じる世代なのかもしれない。あるいは、ゲームや旅行や食べ物、テーマパークなど刺激の強いものに心を動かされながら育った結果、ポランの遊びのように素朴なものに動かされる好奇心があまり残っていないのかもしれない。子供は素朴に育つのがいいとボクは思う。早くスパートしたランナーは後半で息切れするものだ。ランナーのスピードは落ちれば目に見えるが、子供たちの好奇心は息切れしていても外からは見えない。
ポランには昔から伝わっている格闘遊びがいろいろある。格闘遊びだからもちろん突き飛ばしたりぶつかり合ったりする。低学年と高学年を分けて遊ぶことが多いが、時には分けないこともある。大きい子が小さい子を守ったり、小さい子が大きい子を相手に健闘して自信をつけたりしてほしいと思うからだ。低学年と高学年を分けない場合はどうしても小さい子が痛い目にあうことが増える。集団の中でつぶされたり間接的に押し倒されたりすることもある。先日も、まだまだ荒っぽい闘い方に慣れていない小さな女の子が痛い目にあって泣き出すところを目にした。そういう場面は昔から何度も目にしているはずなのだがいまだに心が痛む。突き飛ばした側に手加減した様子が見られれば、しかたのないことだとして、女の子の様子を目の隅で見るだけに留めている。
きれいなかわいらしい服装をした小さな女の子が土の上に突き倒されて泣いている。そばにいる大人は慰めの声もかけない。客観的に見たらひどい遊び、ひどい大人と見えるかもしれない。思うに、この子らに何を期待しているのだろう。痛みに負けてすぐにめげたり、やさしくなぐさめてもらうまでいじけていることではない。やはり、痛みが去れば涙を拭いてまた笑顔で闘いの輪に戻るような子になってほしいと思う。自分の子や孫ならなおのことそう思う人が多いのではないだろうか。
ポランでは長い間Sケンのような激しい遊びが子供たち、とくに幼い女の子たちに好まれてきた。そして高学年になると男子より女子の方がのびのびと活躍する時代が長く続いている。今の時代、子供といえども体を動かすことが減っている。こんなに激しく肉体がぶつかり合う機会は、柔道やレスリング、ラグビーでもやらないかぎり、なかなかない。不意打ちを食らってもんどりうって地面に倒れることなどない。子供時代にしかできない体験がいろいろあると思うが、格闘遊びもそのうちの一つだと思う。