今年も春の合宿をした。ポランに泊まるということ、仲間と一夜を過ごすということは、とにかく楽しみなものらしい。楽しみの度合いを昔の子と比較することはできないが、ひょっとしたら今の子の方が意外にも大きいのかも知れない。
今日は午後に天気が不安定になるという予報が出ていた。テント分け発表に続いてテント張りの作業に入ったのだが、案の定、その頃になって雲行きが怪しくなった。突風のような風とともに雨粒が落ちてきた。今、テントがびしょ濡れになるのは困る。作業を中断し張りかけのテントをたたんで部屋の中へ緊急避難する。一時は雷鳴まで轟いたが、ほどなくして晴れ間がのぞくようになったので作業を再開した。テント張りの真っ最中にこんなことになったことは数十年の間に一度もない。
夕食はお決まりのカレーライス。飯ごうで飯を炊くのだが、ここ数年、上級生に《たき火トレーニング》を課しているそのおかげでほとんど苦労なく炊き上がった。春の夕方、新緑の下にテーブルを持ち出してみんなで同じ釜の飯を食う、何と心地のよい、そして何と贅沢な時間だろうか。
夕食の後、肝試しをする。ここ数年、イノシシが活動する時間に山に入ることを避けて別の過ごし方をしてきたが、今年の冬は彼らの爪跡が少なかったので久しぶりにやることにした。コースは裏山の砂防ダムまで続く一本道。ダムの前の空き地に置いたアメ玉を取ってくる。イノシシがいることは確かなので万一のことを考え、男二人が空き地を見下ろす岩陰に身を隠すことにした。もしもガサゴソとその気配がしたらいち早く照明や物音で追い払おうという戦法だったが、幸いそんな心もとない作戦を実行せずに済んだ。ただ、背後の森から断末魔の叫びのようなしわがれた不気味な声が響いてきた。おそらく大型の野鳥だろうが、もしも子どもたちの誰かがこの声を聞いたとしたら逃げ帰って大騒ぎになったことだろう。さて、そんなことがあったために今年は久しぶりに子供たちの様子をつぶさに観察することができた。3人前後のグループになり懐中電灯の明かりをたよりに暗がりを順番にやってくるのだが、ほとんどのグループが一様に大きな声を出したり歌を歌いながらやって来る。怖さを紛らわすための行動だ。昔の子供もそうだった。怖がっていない子は余計な声を出さないものだ。静かに周辺を照らして観察するような余裕を見せる子もかつてはあった。聞くところによれば今年は単独行のトップバッターに名乗りを上げる子がどうしてもなかったので最初から複数で行くことを許したとのこと。暗闇を知らない時代の現象だろうか。
その後は「アリとキリギリス」の童話をモチーフに使って、公平とか平等について考えてもらった。《よく考える》ための授業だ。算数や理科のような頭の使い方とは別の、百人がいれば百通りの考え方があるような物事について頭を巡らすための訓練である。まずはとにかくどんな意見でもどんな感想でも人前で言葉を発することができればそれでいいと考えていた。こういうことに慣れていないためか発言はやや消極的だった。でも逆に、普段の行動からはこういう場であまり発言しそうもないと思っていた子が何度か手を挙げてくれたことは嬉しい発見だった。自分からは手を挙げることがなくても、同級生や上級生がいろいろな意見を言うのを聞いて、ヘエーとかナルホドとか思ってくれるだけでも意味はあったと思っている。今後も機会を作ってはこんな時間を持とうと思う。頼もしい次世代に育ってもらうためにも。
さて、10時ごろにはテントに入ったわけだが、仲間と頭を突き合わせて寝る夜にとてもじゃないが眠ってなんかいられない。十時半、十一時、見回る度に話し声が聞こえる。十二、一時を過ぎても時々嬌声が上がる。その後は知らないが、夜の間中、ずっとトイレに走る足音は途絶えることがなく、明け方も五時ごろにはもうテントから出歩いている気配がした。おそらく眠ってはいないのではないか。でも明日からは大型連休だ。ま、いいか。
全員で野球をやった。でも、打てない、取れない、投げられない。とても野球にならなかった。野球というものがほんの一握りの子がやる特別なスポーツになってしまい、多くの子にとって日常的な遊びではなくなっている現実を、分かってはいるつもりだったが、あらためて思い知らされた。かつては男の子たちがごく普通に、ごく自然にやっていた受ける・打つ・投げるということが、とても高度な技術であることを実感した。昔の子は毎日のようにキャッチボールやバッティングをしていた。だから身についたことであり、今日が人生で3度目とかせいぜい8度目とかの子ばかりで成り立つ遊びではないのだ、そもそも野球というものは。大きなサッカーボールなら、下手でも何とか蹴ることはできる。バスケットボールでも自分の手から投げるのだから何とかゴールネットに入れることはできる。でも、他人が投げる小さな球を細い棒で打つことは物理的にむずかしい。軌道、角度、速度、タイミング等、そこには迎撃ミサイルの成功率が低いことと共通したむずかしさがある。守る側も、目の前に跳んで来るボールを手の中にきっちりと収め、必要とされる方向へ確実に投げ届けなければならない。しかも投げる方向は状況によって変わる。打ち方、投げ方、捕球のしかたそしてルール。それぞれに別々のむずかしさがある。できない子が少数だったうちはその子たちだけを特訓すればよかった。でも、できない子が大多数となると特訓しようと思うだけで気が遠くなってしまう。
昨今の子供たちのスポーツ事情は昔とは違う。4年生から始まる学校の部活へは多くの子が参加する。でもそ。1、2年生とれは必ずしも好きだから、やりたいからではない。何となく上級生になった決まり事のようにして入部する。本当に好きな子は地域のスポーツクラブに入って土・日にユニホームを着てやる。学校かスポーツクラブ。つまり遊びとして普通の子が好き勝手にやる野球やサッカーは消えてしまったのだ。普通の子が集まってさあ、やろうとしても、技術もなければルールも分からない。いつしかやろうとすら思わなくなる。以前は、ポラン以外の場所や家で普段からやっていたからこそ、ポランでも野球が成立していたということかもしれない。
特訓は気が遠くなると書いたが、子どもたちが「ボクもこんなことができるようになった」と感じることはとても大事だ。その積み重ねが自信になり、自己肯定感が上がる。自分に自信が持てない子が増えたのは知的能力を優先させ身体能力の向上を軽視した結果ではないか。順序が逆なのだ。今後は少しずつ、ボールやバットに慣れるための練習をしようかと思う。特訓というよりもやはり楽しい遊びとしてやれるほうがいい。学校の拘束時間が長くなる中で、どこまでできるか分からないが。
ポランにも避難訓練が義務付けられるようになった。そこで今日はまず手始めに地震が起こった時の訓練をした。地震がいつ起こるかによって取るべき行動が異なるわけだが、念のために学校にいる時、登下校の時間帯ならどうするかを確認した上で、ポランにいる時ならどうしたらよいのかを考えてもらう。まず部屋の中にいた場合。とにかくあわてないこと。揺れが大きくなるようなら大きな梁や照明器具の真下から離れテーブルの下に身を隠す。揺れが落ち着いたらグランドの中央に走ることを確認。複数のグループに分かれて練習する。次は戸外で遊んでいた場合。揺れを感じにくいが地震だと分かったなら落ち着いて周囲を見ながらグランドに急ぐことを確認した上で練習する。その後は親からの連絡を待つことになる。場合によってはみんなでそろって指定避難場所である小学校の体育館に行き、親からの連絡を待つことになる。そんなことを訓練した。
ちなみにポランは正式な避難所ではないが、テントも発電機もある。トイレは掘ればいいし水も沢から取って沸かせば飲める。煮炊き用の焚き物はふんだんにある。支援物資が届く手はずさえ整えれば避難場所として十分活用できるはずだ。万一の場合はそういうように使うつもりだ。
壊れたままだった池を一週間ほどかけて修理した。子供たちにも手伝ってもらって作っておいた150ほどの土嚢を必要な個所に積み上げた。防水シートを敷いて通水したら、ちょうどいい深さの池が復活した。壊れたままだった時も子供たちは池の周辺でよく遊んでいた。復活した池はもちろん獲ってきた魚やザリガニなどを飼うために使うが、もう一つ、ボートを浮かべて遊ぶこともできる。そのためにも深さが必要だったのだ。
浮かべるのはきちんとしたボートではない。夏にプールの足洗い槽として使ういわゆる四角いタライだ。しかも30kgまでという体重制限がある。1、2年生とギリギリ細身の3年生までといったところか。
おまけにこのタライはとても不安定でバランスを崩すと簡単に沈没する。
そのスリルを感じながらボートを操る子の真剣な中にも喜びを秘めた表情が何とも言えずいい。
木登りやナイフ、岩登りなど少し危険を伴うことに挑戦している子どもの顔つきは、笑顔だけの表情より見ていてとても好ましい。実際バランスを崩して水に落ちた子が3人ほどいた。浅いから何の問題もないが、その姿は周辺で見ている仲間のスリル感と安心感の両方を増幅する絶妙の効果があったようで、やってみたいと小さな冒険に名乗り出る子が続いた。その中に一年生の勇気ある少女が4人もいたことがオイチャンとしてはことのほか嬉しかった。でも逆に、こんなときやりたいと言う子と尻込みする子の違いってどこから来るのだろうかと思ってもしまった。
るものを自然物の中から探し、縦、横、斜めに3つ並べることができれば景品がもらえるというゲームである。自然の物を動かしたり変形させてはいけない。見つけたらその場所を記憶しておいて審査員を呼ぶ。草花をいろんな角度から見たり、木の幹にある模様のようなものでもいい。審査はかなり甘くしてある。
ミクロウオーク。これは地面にはいつくばり、虫めがねで見る。アリや昆虫になったような気持ちになって大人でも結構楽しい。立っているだけでは見えなかったテントウムシがたくさん見えた。
こうして自然の中へ出ることが多いが、身近に潜む危険を教えることはとても大事だと思う。マムシ、スズメバチ、カブレ(ウルシ)が3大危険物だろうか。それぞれに危ない状況と危なくない状況がある。ともすると子供たちからこれらを遠ざけたり除去すればいいと考えがちだが、それだと必要以上に怖がったり知らないままになる可能性がある。生きとし生ける者たちと共存するためにも、相手を知った上で危険を避けるすべを知っておく方がいい。