今年もまた高学年のためのたき火訓練が始まった。夏休みに飯ごうでごはんを炊けない子が大半になってしまったことに対するある種の危機感から始めたプログラムである。
必要なたき物を集め、マッチで点火し、火の強弱をコントロールして飯を炊き上げる。世間の子供ならとうの昔にできなくて当然とされていたことだが、ポランでは数年前まではギリギリのところで何とかできる子がいた。しかし、野焼き禁止が徹底したこともあり、田舎ですらたき火を目にする機会が激減した。もはや子どもたちが本物のたき火を目にすることはなく、昔の子供たちのように見よう見真似でやれるものではなくなってしまった。人類が文明を進化させるために不可欠だったはずの火をコントロールする能力をここまで劣化させていいのだろうかとボクは思うのだが・・・。
このトレーニングの対象は5、6年生たち。毎回一人ずつ、たき物をそろえ、点火し、安定した火力になるまでの手順を習得させる。失敗した場合はその都度原因を教え、やり直しさせる。常識はずれの失敗も多いが、文字通り失敗は成功の素、なまじかマグレで成功してしまうより失敗する方が身につく。それを見ているだけでも失敗しなくなる。現に、2年目になる今年の6年生は、不安気ながらも最初から何とかできる。時間や天気や風の具合にも左右されるので毎日というわけにはいかない。3月までの間に2順ほどし、3順目は合否を判定する。今年が初めての5年生には最初にいくつかのポイントを教える。他の子がやる時も見ていれば数十回の成功や失敗を目にできることになる。こうしておけば夏休みの飯ごう炊飯は安心だ。
それにしても火というものはいい。子供もそれを本能で知っているからだろうか火の周りにはいつも人が集まって来る。みんなで歌を歌って歓声をあげていることもある。まるでキャンプファイアーだ。炎を見つめているだけで落ち着く。最後の熾火の静かで深くて柔らかな美しさにはいつも魅せられてしまう。たぶん子供たちもそう感じているのだろう。
昨年の秋に始まった元少(ハンドテニス)が、常設のコートでまだ続いている。年末の頃と違うのは、ランドセルを置くや否や奪い合うようにしてボールを取ってコートへ走るのが、今は低学年の子だということ。この遊びはバウンドするボールを打ち返す高い技術が必要で、自分にはできないと決めつけてほとんどやらない高学年の子もいるくらいだ。だから最初の頃は高学年と低学年が一緒に遊ぶことはあまりない。年が明け、少し飽きてきた高学年の子がコートを独占しなくなり、低学年の似たような技量の子同士で遊ぶようになったことで上達したようだ。
つい最近、低学年の連中の遊びに参加してその上達ぶりに目を見張った。かなり低くて速いボールを打ち合っている。2、3年生がここまでになるとは驚きである。1年生すら数人混じっている。ボクは元少シーズンの最初の頃に高学年と一緒にやることはあったが、その後、劇の練習に没頭していたので、低学年とやることはほとんどなかった。だから、ここまでうまくなっているとは知らなかった。自信をつけた男の子たちが「本気でやってよ」と注文をつけてくるので、その気でやると、やはりまだまだラリーにはならない。ところが連中はボクに負けると悔しがるのである。負けて当然の相手に負けたというのにそうは感じないようである。それどころか、いつもの相手なら必殺できる技を繰り出したつもりなのにボクに打ち返されるとプライドが傷つくのか泣くのである。この連中は普段から仲間どうしでも負けて悔し泣きをしている姿をよく見かけるのだが、大人であるボクに負けても泣くのだ。そのストレートな悔し涙が妙に新鮮で面白くて、ボクの中の意地悪ごころが刺激され、まだまだおまえらなんかに負けてやるもんかと、大人げなくも手心は加えない。
悔し涙を流す子はめっきり少なくなった。そこまで夢中になれないのか、ムキになることを恥ずかしいこととして避けている風潮があるようにも感じる。でもボクは悔し涙を流す子は好きだ。そして、そういう遊び方ができること自体も、そういう相手に恵まれていることもとても大事なことだと思う。ただ、この連中はちょっと泣きすぎかな。元少はそろそろ竹馬と交代して終わるが、来年の今ごろはどうなっているだろうか。なにしろこっちは老いぼれてゆく身、連中は伸び盛りなのだから。できることなら来年もまだまだ悔し涙を流させることができる老人でありたい。
おやつの後に30分ほど全員で遊ぶ。毎日の決まりごとである。このおたよりでもシリーズで紹介している遊びの多くがこの時間帯に行われる。「Sケン」「サクラおとし」「8の字」などの格闘遊び。「カントリ」や「お助けマン」「水雷」などの駆け引きのある鬼ごっこ。「氷鬼」や「手つなぎ鬼」「ドロケイ」などの単純な鬼ごっこ。野球やキックベース、ドッヂボールなどのボール遊びもある。昔遊びを紹介するための書物の中にしかないような古い遊びがポランに生き続けているのも、この夕方の遊びの時間があるからこそである。
そんな夕方の遊び方には他にも重要な役割があることが先日のある新聞記事に書かれていた。それは早稲田大学の前橋教授(健康福祉専門)の調査と実践に関するもので、午後3時〜5時の外遊びは、子供が生活リズムを整え、生き生きと活動するためにとても重要だという報告だった。前橋氏によれば、最近の子供たちには低体温(36度以下)の子が多く、朝は食欲がなく、夜は体温が高いまま寝床に入り寝つきが悪い。そんな悪循環をくりかえしている。人間の体温は明け方が最も低く、夕方が最も高い。生活習慣が乱れるとこのリズムがくずれ、低体温になるという。元に戻すカギは自律神経を鍛えることだという。朝日を浴びて目覚め、日中、特に体温が高くなる夕方に運動し、エネルギーを発散し情緒の解放を図ることが大事だ。記事は、ある幼稚園での夕方遊びやある家庭での実践で良い成果があったことを報告している。夜11時までテレビを見て、朝は食事もそこそこに登校していた子が、宿題を後回しにして夕方まで遊ぶようにしたところ、夕食をよく食べ、9時には眠くなり、朝も食事を楽しみに起きるようになり、同じ勉強時間なのに成績もアップしたという。
昔から、子供がポランに行くようになったら「風呂に入ってバタンキューになった」という話をよく聞いた。最近は遊びの時間数が減ったせいか、そういう声を聞かないのは少し残念だ。でも、夕方これほど多様な体や頭の使い方をし、勝った負けたと心を揺さぶる遊び方をしている子供たちは全国でもそうはいないと思う。生活リズムの安定と自律神経の鍛錬に役立っていると信じたい。
宿題と遊びのどっちが好きか。宿題とサッカー、宿題と野球、宿題と竹馬。昔なら、答えが明らかで問うこと自体馬鹿げていると思われただろうが、今はそうとも言えない現実がある。
ポランに着いたらすぐに宿題を広げる子が多い。古い人間のボクとしては正直なところそれが理解できないところはある。さりとて否定するものでもないので、感心しながら、時々はどんなことをやっているのか偵察したりしている。ボクの観察によれば、一年生の中には新しいことを覚えることに素朴な喜びを感じている子も確かにいるとは思うが、多くの子は下校したらまず目の上のたんこぶの宿題を片付けて、スッキリした気分で遊びたい、と思っているように見える。親に言われているからかもしれないが、子供自身がそう思っているようでもある。
思うにポランは子どもにとってつらい選択、つまり宿題をとるか遊びをとるかの選択を迫られる環境と時間帯である。つまり周囲には遊びたくなる条件がそろっているのに、宿題を片付けておきたい時間帯と重なっているのだ。エサを前にして「待て」と言われた犬のようなものである。そんな時、昔の子どもたちはあっさりと遊びをとった。夜、家に帰って泣きながら宿題をするはめになっても、である。その時はその時だと思ったのだろう。しかし今は逆の子が多い。複雑化した社会に生まれ落ちた今の子どもたちは、昔のようにあっけらかんと遊んでいられた子供たちより精神的にも複雑なものがあるにちがいない。
全体遊びが終わった後に「サッカーをやりたい人集まれー」と声をかけると、学校でサッカー部に属している連中が、コソコソと宿題があるからと部屋にこもり、人数不足で試合ができなくなることが多い。好きだからサッカー部に入ったんじゃないのかい、と言いたくなる。そんな単純なことではないらしい。サッカー部は、親や先生や誰かに言われたらやるし、部活として時間が確保された中でならやるのも悪くない。でも、やらなくてもいいおまけのような自由サッカーなら、今は宿題を優先させたい。そんな心理らしい。だからボクは時々、半ば強制的に高学年にサッカーや野球をさせる。それはモヤモヤしている自分の気持ちに折り合いをつけるためと、一部のスポーツ大好き少年の気持ちを満たしてやるためである。本当はこんな屁理屈をつけずにスカッとやりたい。好きで好きでしょうがないという連中とやりたい。雨でない限り、来る日も来る日も、当然のようにしてボールを追いかけていた時代がつい7,8年前までは確かにあった。
古い遊びというわけではない。20年ほど前に取り入れた遊びで、これはいわゆる昔の遊びと違い、大人の進行役や判定係りが要る。子どもだけではできない点が、ボクの考える良い遊びの基準に照らすと少し劣る。仲間同士の一体感や助け合いの有無、リーダーたちの判断力などを見るのにはなかなかいい。
【コート】普通のドッヂボールのコートほどの広さ。
【ルール】
コートの両サイドが各チームの陣地。よーいドンの合図で相手陣のラインに向かって走る。ラインを踏んで自陣にもどる。早く全員が自陣に駆け込んだチームの勝ち。最後の子がどっちかで勝敗が決まる。一度陣地に入ると再び出ることはできない。
【遊び方の実際】
基本はただ走って行って戻る早さを競うだけなのだが、それだと足の遅い子、幼い子、うっかり者がいつも遅れ、チームが負ける原因となる。みんなでそういう子を助けたりもするが、どうしてもそういう子はチームの足手まといとなり、味方の冷たい視線を浴びてしまう。そんな状況を緩和するためにバリエーションを加えたらこれが功奏した。ひとつのバリエーションは、男子だけとか、あるいは3年生だけとか、赤い服を着ている人だけでよーいドン!とやるのだ。他のバリエーションとしては、自陣にもどる際に、戻ろうとする相手を捕まえてもよいとするのだ。もちろん相手を捕まえれば自分も戻れない。でも、捕まえる場所が自陣に近ければ、タイミングよく手を放して逃げれば勝てる。ただし、その掴み合いは多くの場所で同時に行われるから、全部が自陣に近いとは限らない。「みんな逃げろ」と指令が飛んだ時に全員がうまく逃げればいいが、一人でも敵の逆襲を受け逃げ遅れると相手が有利になる。何しろ一度陣地に戻るともう助けに出ることはできないのだから。誰を捕まえるか、どこで捕まえるか、そしていつ手を放すか。誰がその命令を出すか。他にも微妙な駆け引きが必要な、実は格闘遊びでもある。
たき火でマシュマロ
ナイフで遊んだ作品
ダルマストーブでアンパン