2016年度年末劇 きき耳ずきん

新しい年の初めに

劇が終わってからの年末から年始にかけては、忙しいようなゆったりしたような時間だった。年頭に当たって、そんな時間の中で思ったことや年末劇のことを書いてみようと思う。

思いついて記録をチェックしてみると、これまでに累計で700人に迫る数の子どもたちがポラン(およびその前身のなぎの木クラブ)を巣立っていったことがわかった。10年ほど前から、何かの機会にひょっこり顔を見せてくれる卒業生も多くなり、彼・彼女らと話すことも増えた。こういう仕事を、しかも長年続けてきたからこそ得ることのできる本当に嬉しいひとときである。写真を眺め、思い出話に花が咲く。時には深く考えさせられることもある。それは、妙に浮わついた調子のいい話を聞かされた後などである。あいつ、大丈夫かいな、と思うこともある。卒業生と会うことは、ある意味で自分が信じてやってきたことを検証する貴重な機会にもなっているわけで、考えようによっては身の引き締まる時間でもあることを思わされる。

さて、ポランでは子供たちが楽しく有意義に仲間との時間を過ごせることを何より大事なこととして長年やってきた。その考えが揺らぐことはない。そして、どれだけ良い評価をもらっても、変わらない二つの思いを己への戒めとして心に留めている。一つは、《子どもへの影響力の大きさは第一が家庭(親)で六割。第二が学校で三割。残りのせいぜい一割に過ぎないのがポランや保育園、地域活動のような場所である》ということ。もう一つは《人格形成や価値観の獲得の上で大事な時期は圧倒的に一五,六歳から二〇歳前後までの思春期である》ということ。つまり、ポランを卒業して数年後の、高校や大学などの五年から十年ほどの間にどんな人と出会い、どんな体験を積み、どんな書物を読み、どんな価値観を蓄えたかが、若者の人生に大きな影響を与えるということだ。そして、この年末のふとした出来事から、ボクが強く抱いた思いは、その思春期の体験は、恵まれた体験ばかりでなく、苦労や苦い体験、幾ばくかのつらい体験が含まれているのがいいということだ。もちろん、立ち直るのに時間がかかるような挫折やマイナス体験でなくてもいい。様々な人々と出会うことで自分の境遇を客観的に見直す機会になり、社会の仕組みの矛盾の一端を垣間見ることができればそれでいい。自分が恵まれていることに気づき、あるいは人の生きづらさの原因が、かならずしも本人や周囲の人間にあるのではなく、時には社会の仕組みにもある場合があるということを知る機会があればとてもいい。言い古された言葉で、《若い時の苦労は買ってでもしておけ》とか、《かわいい子には旅をさせよ》という言い方が教えているのはこのことだろうと思う。

先の見えない不透明な時代である。でも、昔と較べたら、とりあえず食っていくことだけは何とかなりそうな感覚を、みんなが抱いているような時代でもある。コンビニにもスーパーにも食べ物はふんだんに並んでいる。普通に育ち、普通に高校や大学に進学できる環境なら、そのまま《ノホホン》とでも過ごせてしまう時代である。でも、それではいけないと思う。誰しも逆境はできれば避けたいだろうが、もしも陥ってしまったなら、その辛さを克服し、その体験や気持ちを財産にしてやろう!くらいの強い気持ちでぶつかってほしい。そのために役立ちそうな要素をポランの活動の中に、どういう形がいいのか今はまだ分からないが、これから入れて行きたいと思う。一割の影響力すら危ういポランかもしれないが、ごまめが歯ぎしりするような気持ちで、日本のどこかで思春期を過ごすであろう卒業生の心の片隅に引っ掛かるような何かを残せないか、そんな思いで新年を迎えた。

素朴さとパワーを

年末劇は淡々と終わってしまったような気がする。今回のように台本が比較的スラスラできたときは、往々にして上演してみると単調な印象になることが多い。加えて、通し稽古ができるようになるまでに時間がかかり、客観的にながめる余裕がなかったので筋を追うことだけに終始してしまったようだ。劇を活気づけるためには子供たちが飛んだり跳ねたりするような場面があるとよいのだが、そこまでの余裕がなかった。いつも反省は尽きない。

もう一つ、長年やって来たボクだけの感想だろうが、照明や音響などの舞台装置が整ってくると、どうしてもそれに頼りすぎてしまい、結果として素朴さやそれゆえのパワーのようなものが欠けるようになる。音響機器が無かった30年前は、馬群が走る音は、舞台裏でみんなで壁をたたいて表現したり、衝撃音は鍋をたたいたり、ブリキ板を床に落として出したりしたものだ。救急車の音が欲しい時には消防署の近くでテープレコーダーを持って待機したこともある。そういう時代の方が子どもたちの集中力も高かったような気がする。苦労が多い分、活気があって楽しかったように感じる。何事も進歩すると洗練されたり効率的になる。そうなるとそれまであった無駄や手間とともに、素朴さや力強さが失われる。相反することであり、しかたのないことなのかもしれない。それでも、来年は、敢えてそんな視点も持ちながら劇を作ってみようかと今は思っている。

正月遊びざんまい

今年の年明けは学校が始まるまでに3日間の平日があった。正月ならではの遊びに費やした。

4日はまず恒例の石巻山の初登りだ。今年はやや多めの26人が参加した。降り積もった松葉の道は滑って歩きにくい。いつも休憩ポイントにしているお社(やしろ)の前で一服。ここは敵に追い詰められた地元の武将高井主膳が自害したと言われる場所で、5年生が郷土史の時間にそのことを学習したと聞いた。そこでみんなに質問してみた。「自分ならどうするか。敵に捕らえられるくらいなら自分で命を絶つか、それとも生きていたいか」と。三分の一ほどの子が死を選ぶと答え、三分の二が生きたいと答え、答えられない子が数人という結果だった。実はこの質問をするきっかけは1か月ほど前に、やはりこの場所で子供たちと交わした会話にあり、質問した意図についてはここでは省くが、いずれ上級生にボクの考えを伝えようかと考えている。歴史の勉強はともすると出来事の理解や年号の暗記に終わることが多いが、自分のことに引きつけて考えるやり方ができないものかと思うからである。

さて、正月飾りのついた鳥居をくぐり、階段を上り切った先の神社にお参りをする。お賽銭にするのは去年一年間に落し物として届けられた小銭。夏休みの子どもバザールの翌朝に毎年、一千円前後のお金が見つかる。これを酉年の5年生を中心にして分け合い、賽銭箱に投げ入れる。今年は、全員に小銭が行き渡るほどあった。その後は山頂を目指す。途中でいつものように自生する夏みかんをもいでいく。

富士山の姿を拝むことはできなかった。酸っぱいミカンを奪い合うように食べ、記念撮影をして、山頂の岩場を後にする。久しぶりに途中の蛇穴に入ることにした。希望者は6,7人だけだった。ポランの子なら卒業するまでに一度は勇気を持ってくぐってほしいと思う。穴を出た先が崖になっているのでそこを下るとなると多少の危険がある。大人が二人、先回りをしてサポートする。いつの間にか見知らぬ子が数人と若い女性が一人、ポランの子の後ろに続いて穴をくぐってきたらしく、ついでにその子たちにも手を貸して崖を下ろした。

5日はカルタ取りをする。もちろんカルタは自分たちで作る。まず午前中はカルタ作り。40数人の子を4つのグループに分け、それぞれ10文字ずつを割り振って読み札とその絵札を作る。題材は年末劇「聞き耳頭巾」の中からとる。五七調が作りやすいので例を示してから作業に入る。この作業はそれほど難しいものではないようで、比較的短時間でできた。絵札の方にはちょっと工夫をした。普通のカルタとりだと、最初の音を聞くやいなや、それに続く言葉は無視して、頭の文字だけを必死に探す。せっかく文がありその中身を表した絵があるのだから、絵と内容の一致したカードを選ぶようにしたい。そこで、絵札の表には頭の文字を書かずに、裏に書くことにした。表の絵から判断して間違いないと思ったら札をひっくり返して確かめる。二枚続けて間違った時はお手付きとすることにした。

午後はいよいよカルタとり。グランドの片隅に置いた絵札を走って行って取る。ポランは昔から走りガルタだ。似たような絵があり、お手付きがたくさん出るかと思ったが、少なかった。題材そのものが内容を熟知した劇であることや、子どもの視点で作られているからだろうと思われる。

6日の正月遊びはすごろく。これはすべて大人が用意する。5チームの対抗戦にしてある。ふりだしから上がりまで、グランド全体に40個ほどの□(マス)を描き、番号を振り、線で結ぶ。いろいろな指示を書いた紙が置いてある。もちろんこれも年末劇にちなんだ課題が用意してある。例えば『医者に見放されて一回休み』とか、『チュンチュン踊りのポーズをする』とか、『照明のミスで七つもどる』など。『突然ですがクイズです』という表示のある場所に来ると、箱の中から問題を引く。昔話の題名を答える問題が入っている。『指よりも小さな剣士が鬼と闘って活躍するお話は何?』、『森で迷った兄と妹がお菓子の家を見つけるお話は何?』という具合である。あと少しのところでふりだしにもどらされるチームもあり、5チーム中3チームが上がったところで時間切れとなった。昔話のクイズがたくさん余ったのでおやつの時に出題した。『サメをだましたウサギは丸裸にされ・・・』という問題では挙がる手が少ないだけでなく、「イバナの白うさぎ」や「インバの白ウサギ」があり愉快だった。「イナバの白兎」という話があまり有名でなくなっていることが明白だった。

人工知能に対抗するファジー

AIと言われる人工知能に仕事を奪われる時代が2030年ころにはやってくるという新聞記事があった。AIについては、アプリの会社を起業しているポランの卒業生と、先日話したばかりだったので目に止まった。記事の内容を要約すると、《AIはすでに立教や法政、同志社大学など難関私大の合格率は8割以上。ある種の選択作業や定型文書の作成ならこなせる。30年には今ある仕事の49%が機械に奪われる可能性がある。人間に残される仕事は、AIが苦手とする推論と状況判断が求められる分野で、例えば役者、保育士、ケアマネージャーなど。》CPは利益追求や効率化の計算は得意だろうが、予測不可能な子供の行動や善悪の判断は苦手だろう。あるいは冒険や挑戦まではまさかしないだろう。記事のアドバイスとしては《好きなことを仕事にすること》だという。好きなことなら効率を度外視したり無駄なことも人間はする。CPはしないだろう。《タデ食う虫も好きずき》の世界にはAIも参入がむずかしいということか。

ポランのことを考え合わせたらファジー(曖昧性)という言葉が浮かんだ。子供時代はファジーに過ごすのがいい。決まった習い事や一つのスポーツではなく、目的のはっきりしないことや多様なことをして育つのがいい。ボクは試行錯誤と臨機応変を大事だと日頃から考えている。試行錯誤はAIも得意だろうが、臨機応変は難しいだろう。子供時代の、大人の目が届かないファジーな遊びの中で本当の臨機応変さが身につく。そしてそういう遊びの中に本当に好きなことの原石も転がっている。ふと考えてみれば、好きなことを職業にすることも、効率や利益最優先でないやり方も、どちらも人の幸福に沿ったことなのではないか。嫌なことや面倒なことはAIに任せ、人間は好きなことをする。考えようによっては悪くない時代が到来するのかもしれない。

2016年度年末劇 きき耳ずきん

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