バトンタッチ

ケンカから学ぶこと

夏休みの間、一部の男の子たちはよくケンカをしていた。ポランではギリギリまで仲裁に入らない方針なので見て見ぬふりをするのだが、あまり頻発するのでさすがに呆れて、一度だけ「楽しそうだねえ」と皮肉たっぷりな介入をしたほどだった。とにかくケンカは遊びの一部として位置づけられているかのようであった。とは言え、ケンカになれば痛い目にあったり泣いたりすることも起こるわけで、当事者にとってはもちろん、目にする者にとっても好ましいものではなく、できれば避けたいものであることは確かだ。低学年の子たちのそんな争いの様子を観察していると、大人たちが引き起こす戦争にも通じるような原因やきっかけになるものが見えてきて何やら興味深い。

ケンカが発生する場所はポランに点在する幾つかの《基地》の周辺が圧倒的に多い。基地遊びには重要な教育的意義があるとボクは考えていて、大いに奨励したい遊びではあるのだが、ポランのように基地づくりが競合する環境ではケンカやトラブルが多発することもある。でも、ボクはその一見マイナスに見えるいざこざも実は重要な意義の一つだと思っている。

遊び時間がたっぷりある春休みや夏休みになると、ちょっとした木陰や片隅に木材やブロックやシートを持ち込んで基地とよぶ居場所づくりが始まる。誰かが誰かを誘って基地づくりの仲間ができる。作る過程については書きたいことは山ほどあるが、ここでは本題ではないので省く。本題に関係あるのは仲間を誘うことである。誰を入れるが誰は入れない。リーダー格の子がそういう判断をする子だと、「○○クンたちがボクを仲間はんぱにする」と、まず悶着が起る。場所が決まれば材料を調達し始める。複数の基地づくりが同時進行しているときは「これはオレたちのだで勝手に持って行くな」と材料の奪い合いも時には起こる。腐りかけた廃材が貴重な資材となる。

基地が完成した時点で(実際には作業が始まった時点で)その場所は誰が宣言するでもなく自動的にその一派が所有するテリトリーとなる。基地は自分たちの家であり縄張りであり、領土や国土と見ることもできる。縄張りという言葉からは、大人社会での抗争事件や暴力事件が容易に連想される。領土といえば尖閣列島や竹島など近隣諸国との領有権争いのことが頭に浮かぶ。つまり、基地遊びには仲間=同盟関係の問題や縄張り=所有権の問題、という国家間の紛争にも通じる要因がついてまわり、それが争いごとが多発する大きな要因となる。「○○が勝手にオレたちの基地に入った」とか「△△たちがオレたちの基地を壊した」とか、そんな訴えを何度聞いたことか。ベイゴマやビー玉ではこの手のことがいざこざの原因となることはない。

このように基地遊びならではのケンカの要因があるのだが、引き金となるのは他の普通のケンカとまったく同じで、ケンカっ早い子、口の悪い子、すぐに手が出る子などの存在だ。「なんだこのボロい基地は」と、言わなくてもいいことを言ってしまう子。「ちょっとこれ見せてよ」と仲間以外の誰かが手に取ったとたん「ダメだ、勝手に見るな」と相手を突き倒さんばかりに乱暴なやり方でやり返す子。ちょっとのことですぐにカッとするタイプの子など。穏やかな性格の子どうしなら何ごともなく過ぎることが、乱暴なカッとなりやすいタイプの子が一人二人と絡むとどうしても衝突が起こる。大人たちの領土問題や戦争についても、ケンカっ早い国とか乱暴なやり方をする国が絡むと・・・、などと考えるのは短絡的に過ぎるだろうか。

衝動的な性格の問題や国際紛争とも同根の原因があるとなると、平和な基地遊びを期待することは土台無理なようだ。そう思いながらあえて願うのだが、ケンカ騒ぎに関わった子たちはその体験から、暴力に訴えればたとえ勝ったとしてもザラついた気持ちが残ること、肉体の痛みを伴うことなど、いくつかの後悔や反省などを学んでほしい。ほとんどケンカをしないタイプの子が体験しないであろう心の痛みのようなものを学んでほしい。時には相手と仲良くする方が気持ちがいいことを感じてほしい。夢物語かもしれないが、子ども時代の基地争いの体験から、国際紛争を解決し他国と仲良くする手法のヒントを見つけ、将来国際連合などで活躍する子が現れないものかなあ。

八っつの瞳に囲まれて

夏休み中のこと。プールから上がってきた一年生R君の目が赤い。常備してある子供の目にやさしい使い切りタイプの点眼液を差してやった。残りをボクが自分の目に差そうとしたら横で見ていたI君が差してほしいと言った。すかさずT君とSちゃんがボクもあたしもと言った。かわいいおめめにポタポタと一滴ずつ差してやったら点眼液は空になった。

ちゅうゆうむそう???

子供たちが楽しげに歌っている。♪てんにかわりてふぎをうつー、ちゅうゆうむそうのわがへいはー♪。軍歌だ。今年も小学校で野外劇の練習が始まったのだ。今はもう聞いても驚きはしないがやはり違和感はある。野外劇の中に出征兵士を見送る場面があり、そこでこの軍歌を歌う。本番の会場で見ているときには劇の一場面として自然に聞くことができるが、ポランで遊んでいるときに幼い子たちがみんなで歌っているのを見ると、どうしても奇異な感じがしてしまう。フギ、チュウユウムソウ、イマゾイデタツとか、聞くだけでは分からない言葉が多い。歌詞を聞き取って調べてみた。

日露戦争の頃のものだというからかなり古い。《不義》とは「義にそむき、道に外れる悪逆」のこと。その当時は、日本もロシアも中国北東部を支配しようと狙っていたわけで、ロシアだけが不義をしていたわけではあるまいが、神国日本が天に代わって悪逆ロシアをやっつけようと国民を煽るのはかつての軍国日本のやり方だ。

軽快な調子の良い歌はCMソングでも軍歌でも子供たちは大好きだ。この歌も何年か前に歌うようになった頃から楽しそうに口ずさむ。意味不明のまま石巻小の子供たちの記憶に定着していくのだろう。将来、もしもこの歌に出会うことがあったら、懐かしく思い出すだけでなく、ついでに歌詞の内容にまで思いを馳せて欲しい。そして、殺し合いを奨励し、父母の許に生きて還らないことを勇ましく誓うことの異常さに気づいてほしい。(ちなみにこの歌は十番まであり、こんな調子の歌詞が延々と続く。) 

「日本陸軍」
天に代わりて不義を打つ
忠勇無双の我が兵は
歓呼の声に送られて
今ぞ出で立つ父母の国
勝たずば生きて還(かえ)らじと
誓う心の勇ましさ

ポランの遊び紹介 その5 すいらい(水雷)

軍歌のことを書いた直後だからではないが、昔の遊びには軍国時代に始まったと思われるものが多い。闘争心をい。生活のすべての場面で国民の戦意を昂揚させようとする時代だから、子供たちといえど勇猛果敢に戦う遊び方が奨励されたのだろう。この遊びは「水雷艦長」というのが本来らしい。魚雷や機雷など、敵の船を水中から攻撃する武器を水雷というが、それを載せた駆逐艦などの艦長という意味だろうか。帽子の庇(ひさし)の部分を前、横、後とかぶり分けることで艦長、副艦長、砲兵などに分かれて戦う遊びだったようだ。

【コート】
グランド全体

【遊び方】
二チームに分かれ、それぞれにグーを一人、チョキを二〜三人、残りの子はパーとする。それぞれタスキを斜めに掛けたり帯にしたりして区別できるようにする。三すくみだから相手の大将(グー)にパーの子がタッチすれば勝ちとなる。味方のグー、チョキ、パーがうまく連動しながら戦う。

【遊び方の実際】
戦うといっても力の勝負ではない。追ったり逃げたりする時の瞬発的な速さと長く走り回る持久力が勝敗を分ける。三すくみの団体戦だから仲間がバラバラに動いていたのでは勝ち目はない。連動して動くことが肝心だ。一番活躍しなければならないのが3人しかいないチョキだ。味方の大将(グー)を狙ってくるパーは20人ほどもいるのだ。そのパーをどんどんやっつけるのがチョキの任務だ。敵のパーを減らせば減らすほど味方のグーは動きやすくなる。動きやすくなったグーが狙うのは相手のチョキだ。そして相手のチョキが減るということは味方のパーが楽に動けるということになる。そして自由に動けるパーが狙うのは相手の大将だから、味方のパーがたくさん残って動きやすいということは勝つ確率も上がることになる。
理屈はそうなのだが、互いにそれを目指すのだから簡単ではない。グーが素早く相手のチョキを一人でもやっつければ、がぜん有利になる。グー(大将)の注意力が散漫だと、味方のチョキの目をかいくぐってきた敵のパーに背後からタッチされたりする。大将を守るためのチョキとパーを攻めるためのチョキの連動。大将のそばに張り付いて敵のチョキから身を守りながらスキを狙って相手の大将に突撃するパーとグーの連動。味方のチョキに守られながら相手のチョキを狙うグーとチョキの連動。自分が誰から逃げ誰を狙うのか、そのためにはどう行動したらよいかを一人一人がしっかり理解しているチームが勝つことになる。

ポケモンGOをきっかけに

ポケモンGOというゲームが爆発的にヒットしている。いろいろ問題も引き起こしているようだが、世界中の大人から子供までがやっているのだからよほど楽しいのだろう。新聞で面白い記事を見つけた。動物学の専門家が実際に体験した上で書いているのだが、ポケモンGOは現代人の狩猟本能を刺激しているのではないか、という内容である。そして今や廃れてしまった昆虫採集を復権させられるのでは・・・と期待する。その専門家は、ポケモンGOがヒットしている理由は、現代社会の中で発揮する機会が減ってくすぶり続けていた狩猟本能がゲームによって満たされている、とみる。ポランでもクワガタやカブトムシを欲しがる子がすっかり減ってしまったことを残念に思っているだけに、動物学者の気持ちはよく分かる。しかしバーチャルな世界からリアルな世界への興味が生まれるかとなると、ボクはちょっと懐疑的なのだが、後日の新聞にそう悲観することもないのかと思わせる写真が載った。それは、夜の公園でポケモンGOをしている大勢の人たちの手前に、羽化の真最中のセミが2匹大きく映り込んでいる読者からの投稿写真だ。説明書きを要約すると、ポケモン探しに出かけたがセミの羽化の方に強く興味を抱き、スマホで撮って投稿したらしい。それ以来、ポケモンGOは封印気味だという。半透明の白いセミが殻を破って出てくる姿は神秘的で何かを感じさせる。投稿者は「何か大事なものを見失っている気がした」と書いていた。大事なものに気づくきっかけがポケモンだったということをここはまず喜んでおくとしよう。

追記。今年の一年生の中には、突然変異のような生き物好きがいる。数人の生き物好きたちが、毎日のようにカエルやザリガニなどを捕まえている姿を見ると、なぜかボクはホッとする。生き物と触れ合って育つことは命を感じながら育つこと。残酷、かわいそう、気色が悪い、汚いなどの大人の反応は子供に影響する。ポケモンGOでは満たしきれない大事なものがあると信じて、子育て世代は禁句にすることを努力目標にしてほしい。

かかしコンテスト

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ビー玉決勝戦

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サイクリングの列

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真っ暗闇を進む

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