ぼく かえる

コロナ禍に思う

ゴールデンウイークが来るとやっと少し落ち着く。新一年生たちが、家↓学校↓下校してポラン↓夕方のお迎え、という生活のリズムをつかんだように思えるこの頃、3月から続いていた緊張感からやっと解放されて一息つける。

新一年生たちにとってポランという場所は目新しいことがたくさんあるにちがいない。自然環境も大人たちの様子も、これまで過ごしてきた保育園や幼稚園とは大きく違うはずだ。木がたくさんある、水が流れていてオタマジャクシやカニがいる。野球やサッカーもできる。地面は凸凹で、あちこちに秘密基地みたいなものがある。竹もいっぱいあってノコギリで切って武器を作って遊べる。大人たちも、ああしろこうしろと、あまり言わない。そのかわり、靴やズボンは濡れたり汚れたりするし、転んだり手を切ったりして血が出ることもよくある。中にはそういう環境を「何もすることがない。たいくつだ」と感じ、ゲームなどがないと遊べないような子もいるが、幸い今年の一年生には今のところそういう子はいないようである。

さて、今年の春もコロナウイルスは収まる気配を見せていない。手洗いやマスクを外せない今の生活、行楽や外食もままならないこの生活を、大人たちは一時のこととして我慢しつつ、やがて元に戻ることを期待している。子供たちはそうではないのかもしれない。言われるがままに受け入れ、順応しているだけで、早くこの生活から解放されたいとは大人ほどには思わないようだ。それが子供なのだとは思うものの、この暮らし方が日常になったことによる何か弊害のようなものが、数年先に起こりはしないか、ふと心配になる。例えば、マスク生活による呼吸器や呼吸機能への悪影響はないか。アルコールや石鹸の使い過ぎによる皮膚への影響はないのか。精神的な影響は見えにくいだけにさらに気になる。ゴチャゴチャとじゃれ合って遊ぶことができないこと。死者数だとか感染者数だとかを、いつも耳や目にしている暮らし。抑制的に生活している周囲の大人たちが溜め込んでいるストレスの間接的な影響、などである。屈託なくかけがえのない子供時代を過ごさせてやるためには、漫然と自粛暮らしをつづけているのではなく、知恵を絞りだして工夫する必要がある。コロナ禍の中で2年目を迎える今、そんなことを感じている。

新しい年度の始まりにあたって

新年度の始まりにあたっていつもと同じことを書いておくことにする。この「ポランの森から」は事務連絡のためのものではなく、ボク(ロッカク。最近の子供はロクと呼ぶ)が40年以上続けてきた私信のようなもので、紙に印刷してあるブログという方が今ではわかりやすいようだ。ポランでの子供たちの様子や出来事を中心に、様々な雑感を書いている。紙の印刷物として発行する以外に、ネットにも掲載している。

40年前はガリ版刷りだった。時間もかかったし、失敗ができない緊張もあった。今から思えばなつかしい限りだ。そのガリ版も鉄筆も今は世の中からすっかり姿を消した。その後はFAX印刷になり、そしてワープロになり、今は「書く」と言うよりキーを叩いている。読み手の方も変化しているようで、最近は直接に反応がボクのところに届くことはめったになく、ネットでの反応がチラホラといったところだ。「イイネ!」に象徴される短文が全盛の時代にこんな長いものが歓迎されないのもむりはない。それでも、これを書くことはもはやボクの生活の一部になっていて、書かないとどうにも落ち着かない。一人でも二人でも読んでもらえる人がいることを信じて、ポツポツと続けることにしようと、今は思っている。写真も多くして。

知波田峠
春休みのプログラムで浜名湖が見える知波田峠まで歩く。山道を往復で4時間余り。みんなホントによく歩いた!
卒業生たちと
同じ場所で卒業生たちと、ポランに保存するための写真をパチリ。
知波田峠
卒業生たちと

春休み恒例のウオークラリー。絵地図を見ながら、クイズを解きながら歩く。どこを歩きどこを目指すのか。それは誰も知らない。

卒業生たちと
きめの細かい泥をこね、壁塗り用のコテで板状に伸ばし足型をとる。何かの標識だとか。女の子たちの手の込んだ遊び。