卒業生たちにとってポランの思い出ベスト10にランクインしそうなのがこのノビル焼き。ほんのり焦げ目がついてやわらかくなったらミソをつけて食べる。焼いている香りとこの味は、忘れがたい子供時代の思い出になっているようだ。
「枯れ木がテントを直撃」「滑走遊具で指を切断」「ロープ遊びの園児ケガ」。そんなニュースを見たり聞いたりするとどうしても気になってしまい、事故が起こった状況を想像してみたり、詳しい情報を求めたりする。なかばボクの習性のようになっている。そして事故の状況をポランに当てはめて考え、気を付けることやできることがあれば手を打つことになる。公園や保育園や小学校にある遊具で起こる事故については、管理を徹底することで防げたはずだと思われるものあるし、この遊具でどうしてこんなことになるの?と首をひねるようなこともある。
沢の流れで水遊びをし、木登りができる木がたくさんあって、ノコギリやカナヅチやスコップなどを自由に使い、起伏だらけの不整地を自転車で走り回る。それがポランの子どもたちの遊び方である。ケガをするなと言ってもこんな状況ではなかなかむずかしい。好奇心が旺盛な子供たちは、そもそも大人が想定していない遊び方をしたがるもの。自転車で水場に突っ込んで喜んだり、重い台車を坂の上から転がしたり、危なっかしいことは日常的に起こっている。サッカーをすれば顔面にボールが当たるし、ドッヂボールをすれば突き指はする。好奇心が旺盛な子ほど、活発な子ほど、高学年になればなるほど、普通の遊び方では物足らなくなるものであり、その分ケガのリスクも高くなる。
長い間こんな遊び方をする子どもたちを見ていると、いや、そうでなくとも、ケガはするものだと、普通に育った大人ならそう思うだろう。大人でもスポーツをすれば何らかのケガはするし、料理をすれば火傷や指を切ることもある。道具を使えばケガはする。でも道具は使いこなせば楽しい世界を開拓することができる。小さなケガをしても自分で絆創膏を貼ってすぐ元気に飛び出して行く子供の姿を見ていると、これでいいのだと思う。最低限心掛けていることは、ケガの程度によって必要な処置をすること。危険な遊び方をしている時には、当人たちが危険を予測しているかどうか、危険度を増すようだったら声をかけよう、そんなことを考えながら視野の中に入れておくこと。ロープや火を使うときは必ず立ち会うようにする、などだろうか。 子どもたちは可能性のかたまりだ。これからどんな人間になるのか、どんな仕事をする人になるのか。子どもは存在そのものが大人に楽しみをくれる。些細なことでめげることなく、マイナス体験にもくじけることのないように生きてほしい。AIに使われるのではなく使いこなして、地球環境のことや人間の幸せのことを考えてくれるような頼もしい次世代に育ってほしいと思う。転んでも立ち上がればいい。その方が大きくなれる。その方が楽しい世界を見ることができる。
3月に終わった野球のワールドカップ(WBC)は子供たちに大きな影響を与えたことは間違いない。ポランでもにわかに野球熱が高まり、バットを振る子供の姿が増えた。大歓迎ではあるが、そうして興味を持った子が向かう先が野球教室だという現実に、ボクはちょっとさびしいものを感じる。サッカーにしてもバスケ、テニスにしても、スポーツといえばスクールに加入して道具やユニホームをそろえて行うものになっている。そしてスポーツ教室に入っている子とそうでない子の間に見えない境目のようなものができる。この十年、ポランでサッカーに興じる子はいつも決まった子だけ。やらない子はまったくやらない。中にはスクールに所属しているのにポランではやらない子もいる。本当に好きならどこでもやりたがるとボクは思うのだが、スポーツも習い事になっているということか。最近のポランでは、細々と続いていたサッカー人気を抑えて野球をやりたいという子が増えた。大谷に憧れ、ダルビッシュや吉田のようになりたいと思うのはいいことだ。ただし、子供のうちは特定のスポーツにこだわらず、いろいろな体の動かし方をするのがいい。それは人生においても大事なことだ。WBCをきっかけに他の遊びも活発になってほしいものだと思う。
ポランのスタッフに新人が加わった。伊藤仰(あおぐ)君という若者だ。一昨年の夏休みも手伝いに来てくれていたので、4月に彼の姿を目にした子供たちは「あっ、アオグだ」と、ごく当たり前の顔で近づいて行った。子供たちの投票で決まった呼び名は『グッチョ』。風のように走り回るグッチョは子供たちの人気者だ。
3月に開催した「ウクライナ子供絵画巡回展」。その後も他の県をあちこち巡回を続けているが、そこで集まった募金と坂本氏の出版物の印税などで救急車を購入できたとの報告が来た。ウクライナでの破壊と悲惨なことが一刻でも早く終わることを祈る。