ラッパ水仙

ディレンマを抱えつつ

今、大学への進学率は50%でその数は約60万人。受け入れる側の大学の数は約800校。各定員の総数は約60万人。つまり数字の上では希望者は全員入学できる。むろん人気の差はあるから倍率はいろいろだが、大学がかつてのような狭き門でないことは間違いない。しかし、広すぎる門には弊害もあるようだ。「何となく」「みんな行くから」「どこでも別によかった」という《無気力入学》や「ほんとは他の大学がよかった」とか「第一志望ではない」という《不本意入学》も増えているという。現場の教員によれば、一年生の教室にさえ喜びの空気はなく、無気力、無目的の雰囲気が漂っているらしい。そんな学生たちがそのまま卒業すれば、4年後には無気力入社や《不本意入社が増えると予測する就職担当者もいる。さらにその先は不本意結婚や無気力人生にもつながってゆくのだろうか。

こんなあまり楽しくない話題に目が向いてしまうのは、たぶん今、ポランで竹馬をやっているからだろう。いつの頃からか、竹馬への子どもたちの熱が冷めてきている。少しでも上達したいという意欲を持つ子が少ない。グランドが一周できるくらいになると満足してしまい、走る、段差を越える、ケンケンをする、ボールを蹴る、などの技に挑戦する子がいなくなってしまう。ポランの竹馬には検定制度があり、3級、2級、1級、チャンピオン級、名人級まである。元々は1級までしかなかったものだ。しかも、本来はただの遊びである竹馬にこんな制度があるのは、意欲的にむずかしいことに挑戦し、自分だけの技を考案する子どもたちの姿を見て、その励みになればと考え、ご褒美として設けたという経緯がある。やがて1級では物足らない連中が現れてチャンピオン級を増やし、さらに3、4年生でチャンピオンを極めてしまい、もっと難しい技をやってのける子が出現し、その要求に応えてしぶしぶ設けたのが名人級だ。メダルや認定証を誇らしそうに受け取る子や、すごい技を披露する先輩の姿に目を見張る昔の子どもたちの姿が忘れられない。しかし、最近では6年生でやっとチャンピオンに届く子がチラホラある程度で、4、5年生でも2級や1級どまりの子が多い。この低調傾向はずいぶん以前に始まったと思う。「あのお兄ちゃん、すごいなあ!」「このお姉ちゃん、あんなことできるんだ!」と、低学年の子が憧れるような高度な技を見せる先輩が少しずつ少なくなり、いつしかすごい技は手の届かないまぼろしの世界のことになり、「そんなことできるわけがない」「自分にはムーリー」ということになってしまった。

竹馬だけではない。ナイフでもベーゴマでも、ほとんどの遊びが低調傾向にある。野球やサッカーですら、世間の見方と現実と間には落差があり、球技を好まない子の数は全体として増えている。この傾向の背景にある子どもたちの心理を推測するならば、「他の子に負けたって別に悔しくなんかないモン」、「ガムシャラにガンバルなんてカッコ悪いじゃん」、「人の前で恥をかくのはイヤダ」、「目の前にニンジンぶら下げられても、別に欲しくないし」、「うまくなりたいとは思うけど、どうしたらいいのか、手取り教えてもらわないとわかんない」などとなるだろうか。オリンピックのフィギュアスケートや体操競技の世界のように、4回転ジャンプから4回転半へと、ウルトラC、DからE難度F難度へと、どんどん進化するのは、特殊な環境や条件の下でのことであって、普通の子どもたちの実態はそうではない。テレビで見るオリンピックやプロの世界と、自分がいる現実とはきっちり区別しているようだ。昔の子どもは、みんな自分も長島や王やスーパーマンになれると、単純に思っていたものだが、今は手の届きそうな夢とそうではないものを分けているようだ。幼いうちから他人と比較される機会や材料が多いためか、自分の能力がどの程度のものか、努力する前から決めつけてしまっているように思われる。

さて、大学入試の話には明るい続きがある。無気力学生の実態に危機感を抱いた大学が5,6年前からある試みを始め、それが良い効果を生んでいるというのだ。「我が大学の歴史と現在」なる講座を開き、先人の努力や地域との関係などのドラマを教えるようにしたところ、自分の選んだ大学に興味・関心が生まれ、やがてその大学を選んだ自分への自信や安心感にもつながったという。自分が所属する学校や会社、団体や地域に愛着を持つことは、自分自身への誇りにもなり、必要な努力やヤル気を促すことにもなるということのようである。

数十年前、日本人はエコノミックアニマルと皮肉を込めて言われ、みんながガムシャラに仕事をし、GDP世界2位を誇った時代があった。今は、働き過ぎや長時間労働をなくそうという時代である。貧しいことが成長や努力のエネルギーとなることは確かである。豊かになってから生まれた世代が貪欲さに欠けるのは当然のことである。その変化を渦中で体験してきた世代としてそれはよく分かる。でも、その必然ともいうべき子どもたちの変化を、頭が分かっていてもボクの心が受け容れかねている。かといって目の前の現実を受け容れないわけにはいかない。危機感を抱いた大学のように、やり方を少しずつ変えたり、言葉かけを工夫したりしながら何とかヤル気を出してもらうための模索を続けている。子どもたちのけなげさ、可愛らしさ、純粋さ、心の柔らかさ、存在自体の不可思議さに魅せられて、かつ子どもたちに教えられ、鍛えられ、成長させてもらってかれこれ50年。それゆえに感じるのかも知れないディレンマを抱えて20年がたつ。

そろそろ竹馬サッカーを始めようと思う。全盛期の子らより下手になったとは思うものの、この遊びだけは今でも素直にスゲエと思える。それは確かな思いだ。ディレンマはディレンマとして抱えつつ、世間とは少し別のやり方で現代の子どもたちの可能性を少しでも広げてやりたいと思いながら、もう少しこの仕事を続けさせてもらおうと思っている。

火山学者の胸の内

九州で新燃岳が噴火した。火山灰のこと以外には被害はないようだ。1月には関東の草津で本白根山が噴火した。こちらはスキー場に近く、死者が出た。3000年ぶりとか言われるが、地層でも調べれば3000年が分かるのだろうか。

草津の噴火の時、東工大の野上という教授が記者会見をしていた。噴火の可能性があって監視していたのは隣の火山で、噴火した方の山は火山性微動も火山性地震も山体の膨張もまったくなかったという。野上氏は「これでは一体、何を測ればいいんだということになり・・・」と、そこまで話して一瞬言葉に詰まった。そして「というところからのスタートになります」とつないだ。その一秒か2秒の沈黙が妙にボクの心に刺さった。「というところから」とはどこからなのか。話の流れからは当惑や困惑状態から、となる。つまり「地震予知をより確かなものにするためには、何の微細な変化も示さない3000年前に噴火しただけの火山までも監視しなくてはいけないのか!」という困惑である。学者としての仕事を投げ出したくなる気持ちすら心をよぎったかもしれない。しかし、そんなことはできない。一瞬の沈黙はそういう葛藤だったのではないか。そして瞬時に思い直した野上氏が継いだ言葉が、リスタートの決意表明だったのではないか。

火山予知、地震予知、津波の予知・・・、数百年、数千年、数万年サイクルで起こる地球内部の変動を、数年や数十年先にどうなるかなど正確に予知することが果たして可能なのか。素人にはどう考えてもできるようには思えない。野上氏の脳裏を一瞬、素人と同じような思いがよぎったのではないか。そんな推測は専門家に対して失礼なことかもしれないとは思うのだが。

楽しきたき火

今年も高学年のたき火訓練は続いている。現代の暮しの中ではたき火のコツなど身につける必要はないのかもしれない。でも、まったく体験のない子には、最初にどんな材料が必要で、それをどんな順序に置き、どのように火を大きくしていくのか、見当がつかないだろう。太い薪に、じかにマッチの火を当てるような子や、新聞紙を丸めずにペラリと置いた上にたきぎを並べる子の話を耳にする時代である。ポランにはさすがにそんな子はいないが、それに近い子は時々いる。将来、役に立つことがあるかどうかは分からないが、やれる環境があるのだからやった方がいいし、少なくともポランや野外教育センターなどでは役に立つはずだ。

訓練はともかくとして、たき火には癒し効果があるようだし、たき火を囲むことに精神的なプラス効果があることは昔から思ってきたことだ。赤ともオレンジとも黄色ともいえない炎、形があるようでない炎を見つめると、心の中の何かが動かされる。他の動物は火を恐れるものだが、火を利用することで文明を発達させてきた人類は、火に対して特別な感情を持つ遺伝子があるようである。火の中に小枝や杉の枯葉を投げ込むと大きく燃え盛るのを喜ぶ低学年の子。高学年の子が集まると、学校の話題、友達のこと、腹が立ったことなど、語らいになることが多い。卒業式が近づく頃でもあるので、そこで歌う予定の2部合唱が始まることもある。そしてたき火の終わりの熾火(おきび)を最後まで見届けることを好む子も必ずある。わずかに残った熾火を火吹き竹で吹くと、とてもやわらかそうで暖かそうな輝きを発するが、すぐに消える。また吹く。また消える。また吹く。無言でそんなことを続けている姿を見ると《はかなさ》というものと出会っているように感じる。

ポラン

昔の子どもなら火を起こすことなどたやすいことだった。それは親から習ったとかではなく、日常的に目にしていたからである。煮炊きも風呂もゴミ焼きも、火起こしはどこにでもあった。門前の小僧が習わぬ経を読めるようになるのと同じだった。だから今は、低学年の子にも新聞紙を丸めるところから見ていることを奨励している。最初からたき火の一部始終を見ていた子にはイモを焼いて食べるというお楽しみを用意している。マシュマロやソーセージを焼くこともある。上を見上げれば冬の星座があり、三日月もある。昨今は衣服が煙臭くなることを嫌う家庭もあるようだが、ポランのたき火訓練はこれからも続けたいと思っている。

卒業する君へ

これからの十年、十五年間は人生で一番大切な時期だ。なぜなら自分で選ぶことが増えるからだ。選ぶことが「できる」し、選ば「なければならない」こともある。友達を選び、学校を選び、仕事を選び、師を選び、結婚相手を選び、暮らす環境を選ぶ。つまり、自分の人生を決めていく時なのだ。そこで大切なことは《易(やす)きに流れないこと》と《少しの勇気》と《考えること》だ。楽なこと、簡単なこと、めんどうでないこと、失敗しないこと、ばかりを選んでいては自分の能力は育たない。そして、選んだ道で芽が出なくてもガマンする勇気。選んだ道がどうも正しくないと分かったらチェンジする勇気も必要だ。一人だけの静かな時間を持つことや日記を書いたりすることがよく考えることにつながる。それが自分をコントロールし自分を護(まも)ることにもなる。

他人のことは気にするな。自分の好きなこと、自分の心が素直に命ずることを選ぶのが一番いい。それが何なのか。それを見つけるのもこれからだ。地に足をつけてやっていれば必ずいい本、いい仲間、いい先生、いい体験、いい仕事と出会える。

この先、もしも、悩んだり生きることが苦しいと感じることがあったらポランを思い出し、ここへ戻っておいで。昔の自分を見ることにもきっと意味はある。先輩として堂々とポランに帰ってくればいい。それだけの長い時間を君はポランで過ごし、多くの体験をしたのだから。そのことを忘れないでほしい。