マルメロ

何が判断を誤らせたのか

東北地方を襲ったあの大地震による津波で、宮城県石巻の大川小学校の子どもたち74人と10人の教師が犠牲になった。地震が発生してから津波が到達するまでに50分ほどあった。避難するために校庭に児童を待機させておいて、教師たちは一体何を話し合い、何に手間取っていたのだろうか。今のところそれはナゾのままである。生き残った子どもや教師もいるというのに、多くが語られず、裁判を経てもなお空白の50分間は空白のままのようである。

子供たちを預かる学校や学童保育所が、子どもたちの身の安全を確保することに配慮するのは当然である。ポランでは大勢の子を海や山に引率し、自転車で遠出をしたりもする。楽しい時間を過ごさせてやりたいという思いで計画し実行するわけだが、そのための具体的な行動計画を考える時には、時間配分や現地でのプログラムを検討することと同時に、起こりうる危険を予測し、対処の方法を考えておくようにする。むろん想定外のことは大なり小なりいつも起こるが、経験と知恵をフルに動員して最善の方法を探す。

大川小学校の教師たちも、とるべき最善の避難方法を必死に模索していたはずだ。なのに、後から思えばベストなはずの裏山に逃げるという判断になぜ至らなかったのか。そこにはどういう判断があったのか。そして判断ミスがあったとすれば何が正しい判断を狂わせたのか。とにかくそれが知りたい。それが明らかにされなければ、教訓として今後に生かすこともできない。裁判に訴えた親たちの気持ちもそこだろう。

判断ミスにつながる要因は幾つか推測される。先ずは、津波の規模を甘くみていたのではないかということ。海から4キロも離れており、危険地域にも指定されていなかったという。まさかこんな所まで水は来ないだろうと、5年半前までならほとんどの教師がそう考えたとしてもむりはない。「やがて津波警報は解除される。やり残した授業なり雑務をやらなければならない。山に登るのは何かと大変だ。川の脇の小高い三角地点で十分ではないのか」と。それはたくさんの仕事を抱えた教師たちのきわめて現実的な考え方として理解できる。しかし、消防車がどれくらい切迫感をもって伝えたかは分からないが、とにかくかなり大きな津波が近くまで迫っていると知った後の判断としてはやや危機感に欠けるものではなかっただろうか。

もう一つは、裏山への避難を選択しなかった背景に、教師集団内での事なかれ主義のようなものがなかったかということだ。大津波が迫っているという情報が届いた後なのか前なのか定かではないが、山に逃げようと言った一人の教師と一部の子どもがいたという。子供の意見は教師たちの判断に反映しにくいとしても、仲間の教師の意見はどうだったのか。山に逃げようという意見が少数派だったために退けられたのか、それとも他に一人もいなかったのか。いなかったとすれば、職場内に異論を発しにくい雰囲気があってのことではなかったのか。あるいは、思いたくないことだが、上司の意見に従順なだけの、自分で判断できない教師集団だったのか。いずれでもないとすれば川沿いの三角地点の方が山より良いとする強い根拠がなくてはならない。

その時のその場の本当の雰囲気や事情は今やもう知りようがない。一人だけ生き残った教師は心を病んでしまい、人前に出られない状況だと聞く。口をつぐみたいという気持ちが強いと、本当に記憶を喪失することもあるらしいから、そうならずに、やがて真実を語ってくれる時がくることを祈るしかない。

時代とはいえ・・・・

みんなより一足先にポランに下校してきた二人の一年生。「どうして早いかわかる?」とうれしそうな顔で言う。二人が駆け込んできたとき、二人の後方を走り去る黒い車が見えていた。「○○ちゃん(同級生)のお母さんに乗せてきてもらったから」。こんな会話があったしばらく後のこと、二人のうちの一人が泣いている。周囲を、遅れて帰って来た一年生たちが取り囲んでいる。「知らない人の車に乗っちゃあいかんだにイ」。「知らない人じゃあない。○○ちゃんのお母さんだワー」。「そんでも先生が・・・・」。二人だけが車で送ってもらったことを他の子が非難しているようだ。ときどき見る光景だ。子供が犯罪に巻き込まれる事件が増え、知らない人との関わりがむずかしい時代になった。そんな時代背景が子どもたちの心にこんなさざ波を起こすこともある。

数年前、校区外から通う、少し問題のある子を預かっていた時のこと。ある日、たまたまその日に自転車で来ていたその子が、何か気に入らないことがあったとみえて、プイと帰ってしまった。自転車で追いかけたボクは赤信号の交差点で追いついた。説得しようと話を聞いているときに青信号になり、その子は横断歩道を渡り始めてしまった。ボクは何とか引き止めようとしながら肩に手をかけたりしていた。すると前方から男性が緊迫した面持ちで駆け寄ってきて言った。「ちょっとあんた、子どもに何をしてるんだ」。疑われていると直感した。ボクは冷静にかつ穏やかに事情を説明した。ボクの話とその子の様子から、これは怪しむことではなさそうだと理解してもらえたらしくて、やっかいなことにならずにすんだ。道端で、子供と大人が親しげに声をかけ合うことがしにくい時代だ。さみしい時代でもある。

心に沁みこむ時間

10月に入ると日暮れがめっきり早くなる。西に山があるポランは周囲より一足早く日が落ちる。6時ごろになるとすっかり暗くなる。この季節ならではの楽しい夕方の到来である。ほとんど真っ暗になった周囲の森からキャーキャーという声が聞こえてくる。手回し式充電ライトを持って探検に出かけた子どもたちの声だ。本物の森の暗闇が子どもたちの想像力を刺激する。ライトに照らされた木々はそれだけで昼間とは様子が違って見える。竹藪でバサバサとキジバトの羽音がしようものなら飛び上がらんばかりにして逃げ帰る。それでもまた探検に出かける。ひとりではない。何人かで身を寄せ合って進む。恐怖の空間を仲間と共有している、その意識が楽しさを倍増させる。こんなことが晩秋の間続く。子供時代の思い出として心のひだの奥に印象深く刻まれる体験だ。

充足感のある時間を

「おはなしおばさん」がポランに来た。本名は藤田浩子さん。もうすぐ80歳だが白髪の元気なおばあさんだ。楽しい昔話や手遊びを携えて、日本全国を飛び歩いて子どもたちに楽しい時間を提供している。保育園や幼稚園で保育に関わったり、本を書いたりもしている。藤田さんの講演会は、話し手と受け手が目を見ながら、反応をやりとりしながら進むので言葉が子どもたちの心に届く感じだ。まさにライブ感が楽しさを倍増する。

公演後、藤田さんを新幹線の駅まで送った。車中での会話で、今の子どもたちは忙しすぎる、という認識を共有していることが分かった。藤田さんの話によれば、ある保育園でのこと、子供がままごとをしている最中に迎えに来たお母さんが、子どもが何をしているのか見ることもなく、手を引いて連れて行ってしまったそうだ。その時、ままごとは夕飯の場面、やがて終わるはずだ。終わってから、さあ帰りましょう、でいいのに、さぞ忙しいのでしょう、と藤田さんは思う。ポランの例としては、習い事や通院などの日には、子ども自身がお迎えを気にして、遊びが終わる直前に遊びを抜けて帰宅の支度を始めることがある。あと少しで終わるのだから最後まで続けるようにうながす。

思うに、ままごとにも一日の生活を再現する流れのようなものがあり、ポランの遊びには最後に勝敗が決するものが多い。物事を尻切れトンボ(中途半端のこと)にすることは、不完全燃焼のようなもので、生じたカスのようなものが少しずつ心の中にたまっていく。そしてやがて原因不明のモヤモヤ感を起こす。喩えると、わずかにピントの合っていない映像を見せられているように、思わず目をこすりたくなり、時にはイライラ感が募るのと似ている。目をこすってもピントは合わず、慢性的に心が晴れない感じを伴うようになる。子供のうちから物事を心ゆくまで満喫できない体験が続くと、それは将来の勉学や仕事に対して、何となく活力が湧かない状態に陥る可能性がある。しかもその理由が本人にも分からないのだからやっかいだ。心ゆくまでモリモリと遊び、モリモリと食べ、風呂に入ってバタンキュー、今の時代にそんなメリハリのある生活をしている子がいたとしたら、その子の目にはきっとスッキリシャッキリとしたきれいな秋の夕暮の景色が映っていることだろう。

藤田さんはまた、現代人は秋の夕暮れという素敵な時間を忘れているようだ、とも話していた。同感だ。秋、それも夕暮れ時はしんみりした郷愁の時間であり、物思いにふける哲学の時間でもあったのではないか。人々が今よりゆったりと流れる時間をじっくりと楽しんでいたからだろうか、昔は秋の夕暮れを歌ったいい歌がたくさんあった。いくつかを二人で口ずさんだ。昔の唱歌が大好きなボクの心にはいくつもの歌がすぐに浮かんでくる。

♪夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る・・・
♪夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か・・・
♪秋の夕日に照る山もみじ、濃いも薄いも数ある中に・・・
♪静かな静かな里の秋、お背戸に木の実の落ちる夜は・・・
♪更けゆく秋の夜、旅の空の、わびしき思いに一人悩む・・・
♪誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた、小さい秋・・・
♪村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日、ドンドン・・・
♪あれ松虫が鳴いているチンチロチンチロチンチロリン・・・

リズミカルで元気がよい歌も楽しいが、こうした静かで美しいメロディーは心に沁みる。しみじみとして郷愁にかられる。こういう歌を口ずさみたくなるのは、大勢でワイワイやっている時ではなく、一人で過ごしている時である。人恋しさを感じながらもけしてさみしいわけではなく、むしろ孤独を楽しんでいるような時間なのである。それは案外、充足感につながる時間なのだ。

ポランの遊び紹介 その6 元少

ハンドテニスともいう。軟式テニスの柔らかいボールを平手で打ちあう。熟練した子どうしの戦いになるとかなり高度なテクニックの応酬となる。中高生はもちろん、大人でも十分に楽しめる。

【コート】下図参照。
元少

【遊び方】
ランクは下から順に少、中、大、元。まず4人が入り、残りの人は少の横に並んで出番を待つ。ボールは手の平で打つ。自分のコートにワンバウンドさせて相手のコートに入れる。打ち返すときは、自分のコートにツーバウンドする前に打ち返す。ノーバウンドでもよい。相手3人のどこに打ち返してもよい。

【遊び方の実際】
ワンバウンドして跳ね上がって来るボールを手の平に当てることがそもそも低学年児にはかなり難しい。それを根気よく続けながら3年生くらいになるとサマになる。5、6年ともなると、地面スレスレの高さで打ちあうラリー戦ができるようになる。カットボールやブレーキングボール、フェイントやコーナー打ち分けなどの技も繰り出す。季節限定の常設コートができると高学年の子がいつもより急いで下校してくる。

オブジェ?いえ、愛車です

オブジェ?いえ、愛車です

どっちの手に持ってるか

どっちの手に持ってるか

陣取り

陣取り

通れるものなら通ってみろ

通れるものなら通ってみろ

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